館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2001年8月

「洪水前の出来事」  創世記6:1〜8 伊藤 牧師 

2001年8月5日
 大洪水で知られるノアの時代は、父レメクの時代よりもますます悪くなり、「神の前に乱れて、暴虐が地に満ちた」と聖書に書かれてあります。
 世の中は完全に狂って、暴力が横行し、神は悪ふざけの対象にされ、神を信じる者は嘲られたり軽蔑されたりしていたのです。
 そんな中で、ノアとその家族は神を信じ、神の中に人生の喜びといこいを見出しながら生活していました。
 ノアとその家族を除いた人々は、はなはだしく悪を行っていたので、神はそのうえにさばきをくだし、四十日四十夜雨を降らせたのです。
 のちにイエス様は、弟子たちに終末の様相を語られて、「洪水の出る前、ノアが箱舟に入る日まで、人々は食い、飲み、めとり、とつぎなどしていた。そして洪水が襲って来て、いっさいのものをさらっていくまで、彼らは気がつかなかった。人の子の現れるのも、そのようであろう」と警告したのです。
 今朝は、神の裁きが来る前に、私たちが備えるべきものを学びたい。(伊藤)

「唯一の救い」  使徒行伝4:12 伊藤 牧師 

2001年8月12日
 十二弟子のひとりペテロは、ユダヤの議会サンヘドリンにおいて、イエス・キリストを十字架につけた大祭司アンナス、カヤパ及び大祭司一族その他、民の指導者たちを前にして、「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝四章十二節)と大胆な証言をしました。
 なぜペテロは、時の権力者を前にして「キリスト以外に救いはない」と、堂々と確信をもって語れたのでしょうか。何がペテロをそこまで言わせたのでしょうか。
 ある人は、この聖書の言葉を読んで、何と排他的で、何と独善的な言葉なのだろうか、我田引水もいいところだと非難致します。しかし、それだけのことを言うには、それだけの理由があるからなのです。
 それはペテロ自身が、イエス・キリストの十字架と復活を体験し、それを通して、キリスト以外に救いはないと確信したからです。(伊藤)

「カナンの地の征服」 ヨシュア記10:1〜5 伊藤 牧師 

2001年8月19日
 ヨシュア記6章〜12章を見ていく時、ヨシュアのカナン作戦計画を明らかに理解することができます。
 エリコとアイへの第一段階の攻撃で、ヨシュアはカナンの中央部にくさびを打ち込みました。10章で、ヨシュアは南方に転戦し、11章で、北方に攻め上っています。それでヨシュアの作戦計画は、中央突破作戦(6〜9章)、南方作戦(10章)、北方作戦(11章)の三段構えをとったことがわかります。12章は、イスラエルの剣の前に倒れた王たちの主要な町々の要約です。
 カナンの部族間の争いは、イスラエルの出現を前にして棚上げされました。それまでお互い敵同志であった者たちが、この侵略者たちに対して、あわてて共同戦線を張ったのです。しかし、すべては役に立ちませんでした。なぜなら、間に合わせの連合軍は、イスラエルを通して働く超自然的な力に対抗するすべがなかったからです。
 今朝は、神様がヨシュアに命ぜられたカナン征服について学びたい。(伊藤)

「信仰の従順」 サムエル記上15:22 市川副牧師 

2001年8月26日
 かつて少年サムエルは「しもべは聞きます。主よ、お話ください」と祈りました。神様はこのサムエルに、ご自身の御心をお語りくださいました。
 サムエルは今、サウルの度重なる不従順に対して、「従うことは犠牲にまさり、聞くことは雄羊の脂肪にまさる」と語って、戒めなければなりませんでした。
 サウルは、民の前での、自分の面目を守るために、サムエルに願って一緒に神に祈ってほしいと言いましたが、サムエルは去ろうと身をかわしました。その時、サウルが捕らえたサムエルの上着が裂けました。サムエルは「主はきょう、あなたからイスラエルの王国を裂き、もっと良いあなたの隣人に与えられた」とサウルに、最終的な宣言をしたのでした。
 ローマ人への手紙11章には「神の慈愛と峻厳とを見よ」とあります。神様の慈しみと同時に厳しさをも心すべきこと、謙遜と従順を持って聞き従うべきことを教えられます。(市川)