礼拝のメッセージ 2001年6月
「新しい人生の力」 ヨハネによる福音書14:16、17 伊藤 牧師
2001年6月3日
教会歴では、今日がペンテコステ(聖霊降臨日、5旬節)です。復活から50日目、昇天日から10日後の日曜日を言います。
ペンテコステは、聖霊が弟子たちに降臨した日で、クリスマス、イースターと共に教会の三大祝日の一つです。
新約聖書にはペンテコステの出来事が使徒行伝1、2章に書いてあります。そこには、キリストの復活と昇天の後、五旬節の日に、弟子たちがエルサレムの家に集まってイエス様のおっしゃった聖霊のお約束を待ち望んで祈っていた時、天からのしるしを受け、聖霊がくだり、新しい命、力、そして恵みがもたらされた、とあります。それゆえ五旬節が聖霊降臨日とも呼ばれます。
使徒行伝を読んで行きますと、誰でも初代教会のクリスチャンたちが聖霊の恵みと力に満たされて、生き生きと生活をし、当時の世界に大きな影響を与えていったことに驚かされます。
今朝は、聖霊について学び、聖霊にお頼りしていく生活をさらに深めていただきたいと願っています。 (伊藤)
「安息日の祝福」 出エジプト記20:8〜11 伊藤 牧師
2001年6月10日
世の中はいよいよ便利になり、スピードアップしてきています。しかし、それがどこに向かって、何のためにというのは再考の余地が大いにあります。
神様は創造のはじめ、第七日目を祝福して聖別され、休むようにされました。モーセは神様から与えられた十戒の中で「安息日を覚えて、これを聖とせよ」と人々に指し示しています。
このように、聖書の中に安息日を守るように勧められているのは、これが私たちの信仰生活の根幹をなすからであり、安息日を守る者は祝福を受け、これを忠実に守らないならば、神様との正しい関係が崩れ去っていき、祝福も受けられなくなるからです。
キリスト教は、全世界の人々に安息日を与えた宗教です。儒教や仏教においてもこのような戒めはなく、それを探し出すことはできません。キリスト教の感化によって、今は全世界にこのような安息日の祝福が及んでいるのです。
こういうわけで、今朝は神様の備えられた「安息日の祝福」について学びたいと思います。 (伊藤)
「アイの町での敗北」 ヨシュア記7:1〜6 伊藤 牧師
2001年6月17日
ヨシュア記7章は、「しかし、イスラエルの人々は」で始まっています。
6章において、エリコの攻撃はイスラエルの完全な勝利に終わりましたが、7章においては、小さなアイの町との戦いに敗北したのです。
エリコを攻撃する時、ヨシュアは神様が命じられたように、エリコにある全てのものを主への奉納物として滅ぼさなければならないと民に告げました。
古代の戦争では、勝者が掠奪するのはごく普通のことでした。しかしイスラエルの戦いは神様の戦いなので、神様にささげるということで、すべてを壊し、燃やしてしまうように命ぜられていたのです。それはイスラエルが自分の力で勝ったと思いこんで、戦利品を取ったりしてはならないということでした。
ところが、ユダの部族のうちの、ゼラの子ザブデの子であるカルミの子アカンが奉納物に手を出して、そのうちからいくつかのものを取ったのです。それ故に、イスラエルは敗北したのです。
今朝は、イスラエルの敗北の原因と解決の道を学びたいと思います。(伊藤)
「ヨナタンの信仰と勇気」 サムエル記上14:1、2 市川副牧師
2001年6月24日
イスラエルの人々は、サムエルの言葉に従ってギルガルに集まりました。ペリシテびとは間近に集結していました。
この時サウルはサムエルを待ちきれず、燔祭をささげ、戦いに臨もうとしたのです。これについて、サムエルは厳しい宣告を与えなければなりませんでした。サムエルはギルガルを去りました。
ギルガルでの、この出来事は、イスラエルを長年苦しめ続けているペリシテびととの戦いが正に始まろうとしていた時のことでした。しかし戦いは待ったなしです。おびただしい数のペリシテびとは、楽勝を見込んで、その先陣はミクマシの渡りに進み出ました。
サウルの息子、ヨナタンは武器を執る若者ひとりを伴って密かにペリシテびとの先陣に向かいました。
「主がわれわれのために何か行われるであろう。多くの人をもって救うのも、少ない人をもって救うのも、主にとっては、なんの妨げもないからである」
彼の信仰と勇気は、この戦いの流れを変えることになりました。 (市川)