礼拝のメッセージ 2001年5月
「専念すべきもの」 使徒行伝2:40〜42 伊藤 牧師
2001年5月6日
今朝は、礼拝に続いて臨時教会総会が開かれ、2000年度の決算について審議を致します。また、2000年度の活動報告が総会報告として配布されます。これらを見ながら、神様の恵みを覚え、感謝を捧げると同時に、悔い改めと新たなる進展を祈りつつ、前進していきたいと願わされています。
使徒行伝には、初代教会が聖霊に励まされ、前進していった様子が脈々と綴られています。
使徒行伝2章42節には、「そして一同はひたすら、使徒たちの教を守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき(聖餐式)、祈をしていた」と書いてあります。ここで著者のルカは、初代教会の人々が、これら四つのことに「専念していた」と言おうとしているのです。
多様化の現代、キリスト教会も世の影響を受けて、聖書の言うこととは別なことに専念する傾向があります。
2001年度がスタートしたこの時、私たちは聖書の原点に返って、何に専念して生きる事がみこころなのか、み言葉から学びたいと思います。(伊藤)
「幸いな人生」 詩篇32:1〜5 伊藤 牧師
2001年5月13日
詩篇32篇は、喜びの歌と言われています。それはこの詩篇が「さいわい」で始まり、「主によって喜び楽しめ」で終わっているからです。
ダビデは羊飼いから一国の王になった人物です。彼は、権力においても、持ち物においても、名誉等においても、最も豊かな人でした。しかしこれらが本当の幸せをダビデに実感させたのではありません。彼は大罪を犯した時、その罪を正直に認め、悔い改めました。そして、その罪が神様に赦されたことを知った時に、彼は最も大きな喜びを感じました、と告白しているのです。
ですからダビデは、神様によって「罪赦されること」こそ、人生の最大の幸せであり、祝福の出発点であると自覚し、この詩篇を書いたのです。
晩年、偉大な神学者アウグスティヌスは、この詩篇を読んでは涙を流し、寝室に大きく書いて掲げさせ、、眠りから覚めれば、いつでもすぐ読めるようにしておいて、慰めを得ていたと言います。
今朝は、この詩篇から罪赦されることの幸いを学びたいと思います。(伊藤)
「エリコの陥落」 ヨシュア記6:1〜7 伊藤 牧師
2001年5月20日
水かさの増したヨルダン川を奇跡的に渡り、カナンの地に一歩を踏み入れたイスラエルの民は、その前に立ちふさがる城壁堅固なエリコの町を征服しなければなりませんでした。
エリコの町は、ヨルダン渓谷の西側の南端、死海にほど近いあたりにありました。パレスチナ最古の都市で、近年の考古学上の発掘でもいくつかの時代に及ぶ幾層もの古代都市の遺跡が発見されています。
ヨシュアの時代は、紀元前一二〇〇年頃であると思われます。この時、「エリコはイスラエルの人々のゆえに、かたく閉ざして、出入りするものがなかった。」(一節)のですが、荒野の生活を四十年も続けてきたイスラエル人には、堅固な城壁に囲まれたエリコは、難攻不落の要塞に見えました。しかし、カナンの地を征服するには、まずこのエリコを陥落させなければならなかったのです。
今朝は、ヨシュアの指揮のもとイスラエルが、エリコの町を陥落させた出来事の歴史的意味を踏まえながら、その信仰的意味を学びたいと思います。(伊藤)
「ギルガルでの出来事」 サムエル記上13:1、2 市川副牧師
2001年5月27日
サムエル記上一三章、一四章にはサウル王に率いられたイスラエルと、ペリシテの戦いが記されています。
これがサウル王の治世のいつ頃かよくわかりませんが、サウルが王として選ばれた使命の一つは、イスラエルを常に脅かしていたペリシテから国を守ることでした。
当時この戦いに見られるように、ペリシテは鉄製の武器を所持していました。しかしイスラエルにはありませんでした。戦いの形勢はペリシテ有利でした。イスラエルの人々はペリシテの脅威を受け、ほら穴や、縦穴や池の中に隠れなければならないほどでした。
戦いの方向を変えたのは、サウル王の息子ヨナタンの行動でした。結果、ペリシテ軍が混乱をきたし、イスラエルはペリシテを国境まで追撃しました。
しかし、この戦いの始めのギルガルでの出来事は、サウルにとって信仰と従順が問われるものでした。サムエルにとっては辛い事ですが、今まで指導してきたサウルに対して厳しい言葉を宣告しなければなりませんでした。 (市川)