館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2001年1月

「ラハブの信仰」  マタイによる福音書15:21〜24 伊藤 牧師 

2001年1月7日
 神様は、イスラエル人に乳と蜜の流れる地カナンを占領することについて、明確な約束を与えられました。
 それでは、ヨシュアがその約束により頼み、安閑として、「棚からぼた餅」式にただ待っていただけかと言うと、そうではありませんでした。
 ヨシュアは、自分たちの出来る限りのことは残らず行っていきました。いわゆる「人事を尽くして天命を待つ」態度をとったのです。
 ヨシュアはすぐに、エリコの町を偵察させるために、二人の斥候を送りました。彼らはエリコの町に入ると、遊女ラハブが営む宿屋に泊まりました。
 ラハブという婦人は、イスラエル人から見れば、敵であり、人間的には不道徳な人であり、神様から最も遠い人のように思えました。しかしこのラハブが、エリコの町に偵察に来た斥候二人をかくまって助け、イスラエルの民を導く先導的な役割をしたのです。
 今朝は、このラハブが天地の創造者でいます神様のことを認め、信じて行動した信仰を学びたいと思います。(伊藤)

「カナンの女の信仰」  マタイ福音書7:24〜27 伊藤 牧師 

2001年1月14日
 ガリラヤ地方で、多くの人々に取り囲まれて休む暇もない日々を過ごされたイエス様は、しばらく人を避けて異邦人の住む地中海に面したツロとシドンとの地方に行かれました。
 当時この地方では、人間の肉体や精神の病気は悪霊のしわざと考えられていました。
 イエス様がこの地方に来られたことを聞いたカナンの婦人は、、悪霊につかれて苦しんでいる自分の娘をどうしても治してもらいたい思いました。そこでこの婦人は、直ちにイエス様のもとにかけつけ、その足もとにひれ伏して懇願したのです。
 当時は、ユダヤ人と異邦人は交際しない習慣でしたから、そのような民族と民族を隔てる厚い壁を乗り越えたこの婦人の願いが、どんなに切実なものであったか、またイエス様とのやりとりの中でどんなにその信頼が強いものであったかがわかります。
 今朝は、イエス様から「あなたの信仰は見上げたものである」と誉められたカナンの婦人の信仰を学びたい。(伊藤)

「ヨルダン川を渡る」 ヨシュア記3:1〜6 伊藤 牧師 

2001年1月21日
 ヨシュア記の中心となる一つのテーマは、ヨルダン川を渡ったという歴史的な出来事です。
ヨルダン川を渡って、約束の地に入るという事は、民の念願であり、神様がイスラエルの民たちに対して持っていた計画でありました。
 エリコを偵察するために遣わされた二人の斥候たちは、ヨシュアに次のように報告をしました。
神様が確かに約束されたカナンの地を与えておられるということ、また彼らは私たちの前に震えおののいているということでした。しかし、約束の地に入り、エリコを攻略するためには、水かさの増した流れの急なヨルダン川を渡らなければならないこと、堅固なエリコの城壁があることもつけ加えたことでしょう。
 ですから、ヨルダン川を全てのイスラエルの民が渡るのはとても困難なことでした。しかしヨシュアは、斥候の報告を聞いた時、主の助けと導きによって、困難を乗り越え、勝利を得ることができると確信し、進んでいったです。(伊藤)

「最初の王サウル」 サムエル記上9:1、2 市川副牧師 

2001年1月28日
 ベニヤミンはイスラエル一二部族の一つです。この部族にキシという人がいました。彼は裕福でした。この人の息子のサウルは若く、イスラエルの人々のうち最も麗しく、誰よりも肩から上、背が高かったとあります。
 ある日彼が、父の数頭のろばを捜して山地を巡り歩くうち、ツフの地で「神の人」を訪ねました。イスラエルでは何か困ったとき「神の人」あるいは「先見者」と言われる預言者に相談に行くのでした。
 彼らが町にはいろうとしたその時、サムエルが彼らの方に向かって来ました。実は一日前にサムエルに神様のお言葉がありました。「あすの今ごろ、あなたの所にベニヤミンの地から一人の人をつかわすであろう。あなたはその人に油を注いでわたしの民イスラエルの君としなさい」と。
 周辺の国々の王は私利のため民を虐げていました。しかし、イスラエルの王となるべきサウルは、謙遜に神様に仕えて使命を果たすことが期待されていたのでした。         (市川)