館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(6)

 賛美歌30番 2001年8月26日

 作詞者はハリエット・B・ストウという方で、名作「アンクルトムの小屋」の著者です。1811年アメリカ、コネテイカット州リッチフィールドに生れました。後に、彼女はシンシナテイで育ち、隣州ケンタッキーの奴隷制度の悪弊を身にしみて感じたようです。神学校長ライマン・ビーチャーを父とし、兄は大説教家ヘンリー・ビーチャーです。やがて、父の神学校の教授ストウ氏と結婚。「アンクルトムの小屋」を執筆、1852年発表しました。当時、この著書は、奴隷解放運動に大きな刺激を与えました。彼女には散文の著書のほかに、宗教詩集一巻と、数編の賛美歌があります。
この賛美歌は詩篇139篇18節
「…わたしが目ざめるとき、わたしはあなたと共にいます」
の、みことばからヒントを得たものだそうです。早朝における神様との交わりを歌った美しい詩です。1855年収録発表されました。邦訳者は由木 康氏。
曲は、メンデルスゾーンのピアノ小曲「ことばのない歌」の第二巻「なぐさめ」という題名の曲から、賛美歌用に編曲したものだそうです。賛美歌への編曲者は不明だそうです。彼は、1809年ドイツ、ハンブルクの富裕なユダヤ人の子供として生れました。音楽的天分は早くから示され、12歳で作曲を始め、17歳で「真夏の世の夢」序曲を書き、以来、作曲家、ピアニスト、オルガニスト、指揮者として、同時代のロッシーニ、リスト、ショパンなどと並び称されました。熱心なルター派の信仰心を持ち、幸福に作曲活動を続けました。 「讃美歌略解」より

 賛美歌508番 2001年9月23日

 作詞、作曲ともフィリップ・P・ブリスという方です。
 彼は1838年7月9日、ペンシルヴァニア州に生れ、1864年シカゴで音楽学院で指導にあたりました。この時期に日曜学校用の賛美歌をたくさん作りました。またシカゴ第一会衆教会の聖歌隊指揮者にもなりました。
 稀にみる美声の持ち主のブリスは、やがて音楽による伝道を志し、1870年伝道歌手になりました。1874年D・W・ホイットルの伝道団に加入、音楽を担当して全米各州に伝道して活躍。彼は美声であったばかりでなく、聞く人々に深い感動を与えたので、大説教家ムーデイーも、しばしばその伝道会でブリスに独唱を頼んだと伝えられています。 この賛美歌508番はブリスが音楽伝道者となって、歌いつつ伝道していた頃、1873年の作です。
 しかし、1876年12月29日、彼はオハイオ州の鉄道事故で不慮の死をとげました。このとき彼自身は一旦のがれたのですが、妻を救い出そうとして亡くなりました。38歳でした。その後、彼と同姓同名の息子が米国で有名な教会音楽家となり、父の遺志を継ぎました。
 ブリスは米国福音唱歌界の開拓者といわれ、作詞も作曲も兼ね、多くの賛美歌が残っています。日本でも、明治時代から広く親しまれてきました。例えば賛美歌501番「いのちのみことば」も彼の作で、ムーデイーがイギリスに伝道して以来、イギリスでも歌われるようになりました。
 その他、賛美歌332番「主はいのちをあたえませり」、520番「静けき河のきしべを」、聖歌654番「神のお子のイエスさま」など多くの人々に親しまれています。
    「讃美歌略解」より

 「永遠のベストセラー 聖書」 2001年10月28日

 こんなに多くの書物が出版されている現代において、聖書は、年間発行部数第一位といわれています。
聖書について著名な人々のことばをご紹介しましょう。

「わたしは、聖書をこれまでに神が人類に与えた最上の賜物と信じる。世界の救主(キリスト)から発する、一切のよきものは、この書をとおして、われわれに伝達される」
                   アブラハム・リンカーン

「いかなる世俗の歴史におけるよりも、聖書の中には、より確かな真理が存在する」
                             ニュートン

「神と聖書なしにこの世を正しく統治することは不可能である」
                    ジョージ・ワシントン

「聖書を読むこと、そのことが教育なのである」
                  テニスン

 深まりゆく秋、聖書に親しんでみてはいかがでしょう。

 賛美歌260番 2001年11月25日

 作詞者のオーガスタス・モンタギュー・トプレデイは1740年ロンドン郊外のファーンハムという町に生れました。父は英国軍人でしたが早く亡くなり、母の手で育てられました。やがて、一家はアイルランドに移りました。ここで、彼は、粗末な納屋で二、三人の集まりにおいて、あるクリスチャンの説教を聞いて回心しました。大学生時代のことでした。後に英国国教会の牧師として奉仕しました。体が弱く38歳で召されました。
 作曲者については、A曲はイギリス人のリチャード・レッドヘッドという方で、教会オルガニストとして55年間奉仕しました。
 B曲は、曲名は「TOPLADY」で、作詞者名がつけられています。
 作曲者はアメリカ人のトーマス・ヘーステイングズという方です。1784年コネチカット州に医師の息子として生れました。12歳のころ両親とニューヨークに移りました。彼は、後にニューヨークにおいて、40年間にわたり、アメリカ教会音楽の発展のために貢献しました。彼の作詞した賛美歌は600余、作曲は1000曲を超えるといわれます。彼は「全能の神を礼拝するのであるから、われわれは最も高貴で最も敬虔な捧げものである音楽をもってしなければならない」という有名な言葉を残しているそうです。私たちの「讃美歌」にも「みたまよ、くだりて」(181番)、「心にしのぶも」(347番)などが掲載されています。頌栄、541番「父、子、みたまの」も彼の作です。 「讃美歌略解」等 より