館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(7)

 賛美歌112番  2001年12月23日

 午後の祝会で歌う賛美歌112番「諸人こぞりて」の原詩第一節は
 「聞け、喜びの輝きを! 
 救い主、来たりたもう、
 久しく待ちにし救い主、来たりたもう!
 すべての人よ、心に御座(みくら)をもうけ、その口に賛美(うた)をもて、迎えまつれ」
 これは、夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた羊飼たちに、主の御使が現れ、救主キリストのご降誕を告げた、ルカによる福音書2章の様子を歌った詩と思われます。
 作詞者はフィリップ・ドッドリッジという方で、ロンドンに生まれ、後に牧師となり、1735年クリスマスの説教に関連して書かれた詩だそうです。
 「いと高きところでは、神に栄光があるように、地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」ルカ福音書2章14節
  「讃美歌物語」より

 賛美歌112番(つづき)  2001年12月30日

 この賛美歌の曲については、はっきりとわからないこともあるようですが、大作曲家ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルのオラトリオ「メサイア」からの編曲であるとされているようです。ヘンデルはドイツ生れのイギリス人の作曲家で、お父さんは宮廷理髪師兼外科医だったそうです。幼いときから音楽の才能を示しましたが、お父さんの強い反対で、大学では法律を学びました。しかし、次第に楽才が世に認められるようになり、音楽家になる決心をしました。後にアン女王やジョージ1世の保護を受けて活躍。しかし、眼病が悪化し53歳で失明に至りました。74歳で亡くなるまでの10年間、毎年欠かさずロンドンの孤児養育院の子供たちのために「メサイア」の定期演奏会を開いたのは有名だそうです。
 編曲者は「米国賛美歌の父」といわれる、ローウェル・メースンという方です。彼は銀行に勤めるかたわら、聖歌隊を指揮し、最初の聖歌集を出版、ボストンの「ヘンデル・ハイドン協会」の指揮者として迎えられ、音楽学校の設立、「教育便覧」を著わすなど、教会音楽、学校音楽向上に貢献しました。 「讃美歌物語」より

 賛美歌529番  2002年3月24日

 作詞者フランセス・J・ヴァン・アルスタインは1820年ニューヨーク州に生れましたが、生後まもなく視力を失いました。盲学校に入学し、卒業後は母校の教師を務めました。このとき、信仰をもつようになりました。やがて同じ学校の盲人音楽教師ヴァン・アルスタインと結婚。
 彼女は幼少期から作詞をし、8歳の時、最初の詩を作り、23歳の時、最初の詩集を出版しました。入信後は賛美歌の創作に励み、その数は6000以上にのぼるそうです。
 この賛美歌529番は彼女の友人で米国人歌手で作曲家のフィービ・p・ナップ夫人が、1873年のある日、一つの曲を作って「これに合った歌詞を書いてほしい」と、曲を奏でました。彼女はその曲の美しさに感動し、やがて出来上がったのがこの賛美歌だそうです。賛美歌で、曲が先にできたという、めずらしいケースです。
 その他に、賛美歌489番「きよき岸辺に」、493番「つみのふちにおちいりて」、517番「われにこよと主はいま」、524番「イエスきみ、イエスきみ」などもこの方の作詞です。 「讃美歌略解」より
 

 賛美歌444番  2002年4月28日

この賛美歌は、イギリスの女流詩人の作詞です。作詞者のエリナ・ファージョンは1881年ロンドンに生れました。兄は音楽家のハリー・ファージョンという方だそうです。エリナは、しだいに小説、詩、音楽を創作するようになりました。
 この賛美歌の曲は、スコットランド及び、アイルランドのケルト人の地方に古くから伝わっている民謡を、マーテイン・ショウという方が編曲したものだそうです。その曲に合わせてエリナ・ファージョンが作詞したものだそうです。
 マーテイン・ショウは英国の音楽家の家に生れました。お父さんも、弟も一家そろって英国教会音楽界のために貢献したということです。彼は1899年パーセル・オペラ協会を創立したほか英国の音楽振興事業に大きな貢献をしたということです。オペラ、合唱と管弦楽、無伴奏合唱曲、歌曲等があるそうですが、教会音楽に関する作曲が最も多いということです。
 この賛美歌は、特徴ある曲で、英国で広く愛唱されているそうです。「讃美歌略解」より