館林キリスト教会

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ヨセフ物語(3)

館林キリスト教会牧師 小林 誠一
総理大臣ヨセフ  やがて親任式があって、ヨセフは王に次ぐ位を与えられ、王の全権を持ち、王の印綬を帯び、王の衣、装具をつけ、先払いを立てて王の車駕を駆り、全エジプトの運命を双肩に担うことになりました。
 七年の豊作の間、エジプトの全地は山をなして産物を生じました。ヨセフは周到な指示と厳重な監督で官民を励まし、予定通り税として産物の五分の一を納めさせました。ヨセフ自身もまめに全国を巡回しました。
 この税は、あまっている物の物納だから、決して重い負担ではなく、かえって価格の混乱がなくて人々も助かったのです。むしろ限りもなく集まってくる産物を収納、処理する役所の仕事の方が大変でした。しかし次に続く七年の飢饉のことが分かっていましたから、どんどん倉庫を増設して収納したので、ついには計量も記帳もできなくなってしまいました。
 ご承知のようにエジプトはナイル川の定期的氾濫によって産物が豊かだったので、はやくから農業が発達しました。そこで共同作業の必要などのために、次第に農民の組織が生まれ、紀元前数千年の頃から、秩序的な社会生活や政治形態が整い、また進歩していました。ですからこの条件のなかで、ヨセフの政策もうまく実行されたようです。
 多忙な中にも、ヨセフにようやく幸福な月日がめぐって来たといえましょう。
 この頃ヨセフは多分三十才を少し出たくらいだったでしょうが、間もなく結婚しました。盛大な結婚式で迎えられたのはオン(ヘリオポリス)の祭司ポテペラの娘、アセナテでした。もちろん真の神を信ずる信仰に改宗して、ヨセフの家族となったでしょう。
 うち続く豊年で全国挙げて大喜びの最中に、ヨセフに男の子が生まれました。ヨセフはかわいい子供の顔を見ると、今までの苦労も忘れる思いでした。それでこの子の名を、「マナセ(忘れ)」と名付けました。
 また一人の男の子が生まれました。ヨセフは喜んで「神様は私を悩みの地で豊かにしてくださった」と言い、この子には「エフライム(豊か)」と名前を付けました。
 七年の豊年が終わると、やがて恐ろしい飢饉がやってきました。飢饉が続いたために食糧がなくなった人々が王に助けを求めると、王の言葉は簡単でした。「ヨセフのところに行け。ヨセフの言う通りにせよ」
 ヨセフは今度は全国の倉庫を開いて、国民に食糧を払い下げました。
 凶年は続きました。人々のお金もなくなりました。するとヨセフは家畜を引き換えにして食糧を売りました。もちろん、所有権を王家に移して登録を済ませれば、家畜はもとの通り彼らに渡したでしょう。こうして人々の財産は全部王家に帰して、残るものは土地だけになりました。次にヨセフは土地を代償にして食糧に代えることも認めました。もちろん、名義が王家に移行しただけで、彼らは従来通りその土地に住み、その土地を耕作して生活したから別に困ることもありません。
 人々は、諸外国の人たちが飢饉のために飢えて惨澹たる状態なのに、自分たちが満腹して生活できるのは、王家のおかげ、国のおかげ、政治のおかげとよく分かりました。王家に従うことが自分たちの生きる道だと言うことを体験したわけです。
 その一方、一切の所有権は合法的に王家に帰し、国民は王家の恩恵のもとに、納税、労役、軍役の義務に従いつつ生活することになったから、これに服従しない場合は、土地、財産を取り上げることも、追放することも王家の自由となり、支配権のまだ確立していなかったヒクソス王家の支配は、今や全エジプトにおよび、完全に全エジプトを掌握することになりました。
 これらは全部総理大臣ヨセフの功績だといえました。

不思議な対面 飢饉は次第にエジプトだけでなく、周囲の国々にも及んでゆきました。飢えた人々の耳に「エジプトだけは不思議に食糧が潤沢だそうだ」という情報が伝わってゆきました。蟻が砂糖に集まるように、エジプトには、回りの地方、回りの国々から人々が集まりました。そしてエジプトの「穀物払い下げ所」に来て平伏し、食糧を分けてくれるようにくどくど頼むのでした。
 (これから42章です)
 そこは毎日、戦場のような騒ぎです。車や獣で山のように穀物袋を運んで来る。大きな石のタンクに滝のようにそれをあける。計算する。袋に詰め替える。運び出す。お金の計算をする。記帳をする。大勢の役人、労働者、エジプト人、外国人、どなったり、騒いだり出たり入ったり、耳も聾するばかりです。
 ある日ヨセフはその中を視察して歩いていました。総理大臣ザフナテ・パネア閣下(ヨセフのエジプト名)の巡視ですから、威張っていた役人たちも手を止めて平伏します。見慣れない服装の外国人など平ぐものようです。
 ヨセフはそこに平伏している一組の外国人を見た時、驚いてあやうく声を立てるところでした。なぜと言うに、これこそまぎれもなく、ヨセフの兄さんたちだったのです。もちろん兄さんたちの方は、夢にも気がつくはずがありません。
 兄たちの数は10名でした。ヨセフももう40才位になるし、兄たちももう青年ではありません。とにかく歳月の移り変わりを感じますが、それにしても弟のベニヤミンが一緒にいないのが気掛かりでした。
 もしヨセフが兄たちに昔の復讐をしたかったら、今がチャンスです。兄たちの生命はヨセフの手中にあるのですから。しかしヨセフは決してそんな心を持っていません。
 ではすぐに自分の名前を明かして、彼らを総理大臣の家族として発表し、彼らを大臣の家族にふさわしく優遇しようか。
 それでは兄たちは有頂天になり、気持ちは混乱し、悔い改めのチャンスを失ってしまうかも知れない。それは神のみ心ではないでしょう。ここは自制しなければならない。
 ヨセフはこういう突然の場合でも、祈りをもって自分の感情をおさえ、また神の導きを受けることができました。
 ヨセフは非常に荒々しい態度で「彼らはこの国の様子を探りに来たスパイの疑いがある。私がじきじきに取り調べる。私の役所に引っ立てて来なさい」と言う。兄たちは驚いていろいろ弁解しますが、ヨセフは聞き入れません。
 役所に来てからの取調べも厳重でしたが、その間に、お父さんのイスラエルも弟のベニヤミンも、故郷に無事でいることが分かったので、ヨセフはとにかく安心しました。
 住所氏名職業を供述した後、家族に関する尋問で、もうヨセフは彼らの陳述に怪しい所があると言います。
 「12名の兄弟だというのに、なぜ10名しか来ないのだ。食糧を運ぶためには一人でも多く来るはずなのに」
 「末の弟は、父親が心配して、私たちと一緒によこしませんでした」
 「お前たちは兄弟なのに、なぜ父親はそんなに心配するのだ。お前たちは  そんなに薄情、冷酷なのか。ほかにもう一人の弟がいる勘定になるのだが、その弟はどうした」
 「はい」
 「彼は病気か。それとも一緒に暮らしていないのか。もう死んだのか」
 「はい。たぶん」
 「何がたぶんだ。どうもおかしい。お前たちが殺したのか」
 この賢明な総理大臣は、自分たちの故郷の様子などもよく知っていて、絶対にごまかせません。何となく気味が悪く、どう返事をしたらよいのか分からず、とても困ってしまいました。
 兄たちはこの思いもよらない出来事を悲しみました。ここで恐ろしい目に会いながら、みんな昔の自分たちの罪を思わずにはいられませんでした。
 自分たちの言葉はヨセフには通じないと思って、彼らは話し合っています。
 「おれたちはこの人が言うように、本当に弟殺しのひどい人間なのだ」
 「ヨセフが泣いて頼むのも聞かないで、むごたらしく穴に投げ込んだり、奴隷に売り飛ばしたりしたのだ」
 「あの時、年老いた父親にも、寿命の縮むような悲しい思いをさせたのだった」
 「あの時のお父さんの悲しみようは、いくらおれでも、とても見てはいられなかった」
 「あれ以来ずっと、おれたちは良心に責められどうしだ」
 「神様はお見通しなのだ。そして今きっとおれたちの罪に報い給うのだ」
 ヨセフには彼らの会話が全部分かります。そしていろいろな思いが込み上げて、とてもたまらなくなったので、大急ぎで別の部屋に入ると、一人で大声で泣きました。
 兄たちは今、あの単純な、しかし大切な真理を悟り始めたのです。それは、ガラテヤ人への手紙、6章7節にある「まちがってはいけない、神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる」という真理です。これは「神は愛である(ヨハネの第一の手紙、4章8節)」という真理とともに、我々の信仰生活の土台となるものです。
 一応、彼らの一人を帰宅させてすぐに末の弟を連れて来なさいということだったのですが、三日ばかり留置された後、結局シメオン一人を人質に残せば、一同帰国を許されることになりました。そして「なるべく早く弟ベニヤミンを連れて来るように」と命令されて、彼らは仕方なくシメオンを残して帰って行きました。
 ただ不思議なことは総理大臣のけんまくには似ず、この三日間の宿舎も食事もとても立派で、家来たちの態度も丁寧だし、なに不自由なく大切に待遇されたことでした。
 だから人質とは言っても、残してゆくシメオンのことが、そんなに深くは心配でないのも不思議でした。
 いざ帰る時になると、引いて来たろばの背中には山ほど穀物が積んでありました。おまけに後で気がついてみると、自分たちの払ったお金はそれぞれの袋の中にみんな返してありました。
 これらもすべてヨセフの愛の表れだったのでしょう。ヨセフは彼らに厳しくはしましたが、彼らが罪に気がついて早く悔い改めてくれるように、また早く無事で元気なベニヤミンに会えるようにと願う以外には、決して他意はないのです。
 しかし兄たちは総理大臣の心を計りかねました。そして丁寧に挨拶をすると、きっと早くベニヤミンを連れて来ることを誓って、とぼとぼと帰って行きました。兄たちが国に帰って父親に事情を話すと、父親の恐怖と悲しみはもっと深刻でした。そしてベニヤミンをエジプトへ連れて行くことを決して許しません。
 「すでにヨセフはいなくなってしまった。シメオンもいない。今度はベニヤミンをも取り上げようとするのか」とかき口説く父親を見ると、兄たちには再び過去の恐ろしい罪の記憶がよみがえって来て、もう決してシメオンもベニヤミンも失ってはならない。そしてこの父親に再びあの悲しみを味わわせてはならないと、決心したでしょう。
  (これから43章です)
しかし激しい飢饉はなお続きました。エジプトから運んで来た食糧もとっくに底をつきました。そして今でもやはり、食糧があるのはエジプトだけでした。それにいつまでもシメオンをエジプトに置いたままにはできません。
みんなの間に、また例の相談が始まりました。
 「いよいよ食糧が無くなったな。もう一度エジプトに行くよりほか仕方がないのかなあ」
 「はい、お父さん。でもベニヤミンを連れていかなくては、エジプトの総理大臣には面会できません。厳しく言われて来たのですから」
 「一体なぜ、ベニヤミンという弟がいるなんてエジプトの総理大臣に教えたのかなあ」
 「それも仕方がなかったのです。何しろあの総理大臣は私たちのことをなんでも知っていて、決してごまかせないのですから。どうかベニヤミンを一緒に連れて行かせてください。必ずシメオンもベニヤミンも一緒に連れて、兄弟揃って帰って来ますよ。私たちが責任を持ちます。お父さんがそれを許してくださったら、今頃までにはエジプトまで二往復ぐらいできたのですよ」
 近ごろすっかり愚痴っぽくなったお父さんも、やっと決心がつきました。そしてできる限り立派なおみやげを用意しました。今度はちゃんと支払うように、この前返されたお金も持ちました。
 「どうか全能の神がその人の前でお前たちを憐れみ、シメオンとベニヤミンを返してくださるように。もし私が子を失わなければならないのなら、それが神のみ心なら、それも仕方がない」とイスラエルは祈りました。もう神様に任せる以外はありません。
 さてヨセフは彼らが来たという報告を聞くや、すぐ官邸に連行するように命じました。
 兄たちはもうびくびくです。恐る恐る家来たちにこの前のお金を返して「私たちはちゃんと払ったのですが、何かの間違いでまた金が袋の中に戻されていたのです」と言い訳をすると「金はちゃんと受け取ってあるから心配するな。お前たちは神様を信じているのだろう。その神様が恵んでくれたのさ」などと笑っていて、誰も取り合ってくれないので、どうも変な気持ちです。
 ヨセフは官邸で彼らに会い、そこで父親がまだ元気でいる様子も聞きました。また恐れと緊張で堅くなって、兄たちに隠れるようにしているベニヤミンの姿を見て「これがお前たちの弟か」と言うともう、なつかしさと共に、父母と故郷の思い、少年の日以来の悲しみが一時に溢れて来て「わが子よ。どうか神があなたを恵まれるように」と言うのがやっとで、すぐ人のいない部屋を求めて、男泣きに泣きました。
 その夜は、すっかり機嫌の直ったヨセフによって、兄たちをお客様にした豪華版の大宴会が開かれました。ところが給仕たちは間違いなく兄弟の順序に彼らを座らせました。また末っ子のベニヤミンには、いつも末っ子に目のない父親がするように、一番良いご馳走が、一番沢山ならんだのは驚きでした。だんだん安心して来たベニヤミンの喜ぶ顔も、ともすればヨセフを涙ぐませたでしょう。
 しかしヨセフにはまだしなければならない大切なことが残っていますから、よく自分を抑えていたのです。
兄弟の仲直り   (これから44章です)
 すっかり疑いが晴れたというので、翌朝は、またろばの背に穀物を山のように積んでもらって、シメオンも連れて、彼らは大喜びで出発しました。
 ところが間もなく彼らは、追跡して来たエジプトの軍隊に包囲され、厳重な捜索を受けました。総理大臣の愛用している、宝石をちりばめた黄金の杯が紛失したためでした。順々にみんなの荷物を開いて調べるうちに、それがベニヤミンの袋の中に見つかった時はみんなびっくりして死んだようになりました。
 「ベニヤミンだけ逮捕する。ほかの者はかまわないから、自由に帰れ」ということでしたが、おろおろしながらみんな一緒に引き返しました。
 ヨセフは「お前たちは恩を仇で返した」と大立腹です。しかし結論は「ほかの者は自由に帰れ。ベニヤミンは抑留して奴隷にする」と言い渡されました。縛られたベニヤミンと、向こうに固まって困り果てている兄たち。ヨセフはじっとその様子を見ています。
 罪もない少年ヨセフを、寄ってたかって殺そうとしたり、売り飛ばした兄たちだから、もし彼らが昔のままだったら、いま弟を一人失うことになってもそれはやむを得ない事情です。一応の努力を試みてだめなら、諦めて深くは悲しまず、淡々と故郷に帰ることでしょう。それとも悔い改めによって兄たちの心は変わったか?。過去の罪を想起せざるを得ないこの場面で似たような罪をまた繰り返すか?。まったく違う態度を示すか?。兄たちはその瀬戸際です。
 ユダが進み出ました。彼はヨセフの前に長い陳述をしました。
 「私たちは潔白だとどうして言えましょう。神様は今、私たちの、昔の罪をあばかれたのです。自分たちの罪を思えば、私たちはみんな奴隷になるしかないのです」と言う言葉で始まったこの弁論は、真心にあふれ、満廷の人々を泣かせました。
 そこには「かつてヨセフにしたような悪事はもう絶対にしない。今もう一度、あの時のようにベニヤミンを泣かせ、父親を悲しませることは絶対にできない」という決意が表れていました。そして「ベニヤミンの身代わりに私を逮捕して、奴隷にしてください。私は今こそ、昔の自分の罪の罰を受けましょう。その代わりどうかベニヤミンを許して、待ちわびている故郷の老父のもとに、無事に帰してやってください」とユダは、熱誠を込めて嘆願したのでした。
 この話の間、ほかの兄たちも顔を上げることができず、満廷粛然として涙をそそられる中に、もうヨセフはとても忍ぶことができません。顔を押さえながら、兄たちを除く全員の退場を命じます。この部屋から遠ざかって行く人々の耳にも、激しいヨセフの泣き声が聞こえました。
  (これから45章です)
 「私はヨセフです。お兄さんたちも、お父さんも、みんな元気ですね」と泣きながら言うヨセフの言葉に、兄たちはあっけにとられていましたが、ヨセフは 「お兄さんたち。私はヨセフです。長い間お目にかかれませんでした。どうぞ恐れないでそばに来てください。昔あなた方は私を奴隷に売りました。でも心配しないでください。私は全部神様の摂理だと信じていますから」
 「神様は私たち一族の命を救うために、私を先にエジプトにお遣わしになったのです。まだまだ飢饉は続きます。どうぞ急いで故郷に帰り、お父さんを連れて、一族全部でエジプトに引っ越してください。私はエジプトの総理大臣です。私の目の玉の黒い間は、決してあなたがたに淋しい思いもひもじい思いもさせません。いつまでも一緒に、仲良く楽しくエジプトで暮らしましょう」
 この様子が伝わるとエジプトの王様も大喜びでした。そして「安心してエジプトに移住するように」との丁寧なお言葉があり、沢山のおみやげ、素晴らしい着物、またお父さんを乗せて来るための、立派な馬車もくださいました。兄たちは食糧やおみやげを満載した沢山のろばの行列を従えて、故郷に帰っていきました。
 お父さんはこの話を聞くと、びっくりを通り越して気が遠くなってしまいました。しかしだんだん様子が分かって来ると、すごく元気が出て、急にせっかちになって、「早くヨセフに会いたい。すぐエジプトに行こう」と言う騒ぎです。
 このあとエジプトでお父さんはあのなつかしいヨセフに会いました。エジプトの王様にもお目にかかりました。イスラエルの一族はエジプトで歓迎を受け、ゴセンという所に領地を与えられ、そこで安楽に暮らしました。
 ヨセフは私たち神様を信ずる者のお手本です。それにヨセフは不思議にキリストに似ています。
 キリストが弟子のユダに売られたように、ヨセフも兄弟に売られました。キリストが同胞のユダヤ人に殺されたように、ヨセフも殺されようとしました。
 最後にエジプトの総理大臣として兄たちの前に立ったヨセフは、復活し栄光をお受けになったキリストのようです。
 兄たちは罪を悔い改めなければなりませんでしたが、でも罰や報復を受けることなく、すぐヨセフに許され受け入れられました。そればかりでなく、行き届いたヨセフの配慮を受け、その愛と保護と祝福の内に、安らかに豊かに生活することができました。
 ヨセフはこれらのことでも、本当に救い主キリストによく似ています。