館林キリスト教会

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ヨセフ物語(2)

館林キリスト教会牧師 小林 誠一
 ポテパルのことをわざわざ「エジプト人」と書いてあるのは不思議な気がしますが、実はこの頃エジプトを治めていた王家はエジプト人でなく、ヒクソスという、東の方から侵入して来たセム人だったのだろうと考えられています。
 ヒクソスは「牧人の王」というような意味で、長いエジプトの歴史の中で、中王国時代に次ぐいわゆる第二中間期、第15、16王朝(紀元前1650年頃)に当たります。
 彼らはナイル・デルタ地帯の、アバリスという所を首都にして、上エジプトを支配していました。
 それゆえ、宮廷はほとんど異邦人で満たされ、かえってポテパルのようなエジプト人が珍しかったのかも知れません。それは、ヨセフ伝の、次のいくつかの場面の背景を説明します。すなわち
 「料理役の長」の買収事件も、それらの複雑な状態の中の、政治的緊張、陰謀から出た事件であること。
 後に総理大臣になったヨセフの施策が、まだヒクソスの全エジプトに対する支配力が不完全であった時代に、ヒクソス王朝の王権を徹底し確立するに貢献したこと。
 セム人であるヨセフの一族が、エジプト王家によって非常に歓迎優遇されたこと。
 反対に、こんどは出エジプト記の時代になると、ヒクソスに対抗して、再びエジプト人の王家が成立したので、いわゆる「ヨセフのことを知らない新しい王」によって、こんどは反対にイスラエル一族が迫害された事情、などを説明するのです。
 ポテパルの奴隷となったヨセフについて、39章にはヨセフに対する神の祝福が、ていねいに記されています。
 「主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な状態でポテパルの家に生活した」。
 「主がヨセフと共におられた」というのは、言葉をかえて言えば「ヨセフが主と共に歩んだ」ということです。
 この事実は、やがてポテパルの認めるところとなりました。そして「ポテパルの恵みをも得て、そのそば近くに仕えるように」なりました。
 次第にヨセフは、ポテパルの使用人の中から抜擢されて、ハウス・キーパー、つまり全財産、全経理、全使用人の管理を任せられることになりました。
 主はこのあと、ポテパルの家と財政を非常に祝福されたので、ポテパルは完全に一切をヨセフに委ね、命令、干渉といえば、自分の食べたい物を注文するくらいのものだったということです。
 本当に、兄たちはヨセフを追放しましたが、神の臨在から追放することはできませんでした。衣服はハギ取りましたが、信仰はハギ取れず、体は傷つけましたが、ヨセフの魂を傷つけることはできませんでした。
 今、ヨセフの生活は、平和で幸福なものとなりましたが、ここで一つの問題が出てきました。それはポテパルの妻のヨセフに対する愛です。
 おそらくヨセフは、母ラケルに似てハンサムだったでしょう。故郷を離れた時のいきさつは、ヨセフの心に深いキズとなって残り、ヨセフの表情に、何か憂愁のかげりを与えたでしょう。
 しかし、信仰によって、神様はヨセフの心をお守りになりましたから、悲しみや、焦り、将来に対する不安や、意固地に陥ることがなかったでしょう。一言で言えば、有能であると共に柔和で親切な青年でした。
 ヨセフに対しては誰でも、信頼、尊敬の情を、禁ずることができなかったでしょうし、またその孤独憂愁の姿は、女性の母性本能を刺激することもあったでしょう。ただ道徳標準の低い、異邦人の婦人であるポテパルの妻は、ヨセフに対する好意が、やがて愛欲に進展してゆくのに、恥も自制力も乏しかったようです。
 ヨセフのような人は孤独で愛に飢えているはずです。だからこのときのポテパルの妻の誘惑は恐ろしいものでした。聖書は、この女の誘惑が、次第に積極的な、露骨な、しかもしつこいものになってきたことを記しています。最後にとうとうヨセフは、衣服を女の手に残したまま、命からがら逃げ出す始末でした。
 ヨセフがこの恐ろしい誘惑に勝って身を守ることができた、その理由、秘訣は何でしょう。
ヨセフは「わたしは、この大きな悪を行って、神に罪を犯すことはできません」と言いました。
 間違った恋愛の特徴は「愛は神聖だ」などと言いつつ、恥をカバーして、自然となし、醜をカバーして美となすような、自分勝手な言い分を立てるところにあるのですが、ヨセフはそうではなく「これは神に対する罪、また人に対する悪」ときっぱり言いました。
 ヨセフには主人ポテパルに対する責任感と、恋に狂った女主人に対する、男らしい配慮があります。今こそヨセフがしっかりしなければ、何もかもめちゃめちゃになってしまうところなのです。
 ヨセフはまた、極力危険を避けました。物騒な女と一緒にいないように注意しました。「不義は困るが、しかしそのムードは魅力的だ」というような余地は全くなく、ヨセフは自分の純潔について、徹底的に真剣だったのです。
 いよいよ最後には、罪を避けることだけを考えて、とにかく逃げ出しました。女性の心をキズつけないようにとか、恥をかかせないようにとか、あまりおおっぴらにしないようにとか、うっかりするとかえって誤解をうけるとか、そんなことを考える余裕はありません。
 自分の衣服を女の手に残して逃げてゆくヨセフの姿はまるで、猛火から、猛獣から逃げるようです。ヨセフはここで、実は自分自身の弱さからも逃げたのでした。私はこのヨセフの姿に、本当の男らしさを感じますが、皆さんはどうでしょう。もう少し、煮えきらない、ハッキリしない、デレリとした男性がお好きですか。
 女はいわゆる「かわいさ余って憎さが百倍」という心境になって、夫が帰ってくると、ヨセフの衣服を証拠物件にして「ヨセフが自分にたわむれようとした」と訴えました。
 ポテパルは妻の訴えを聞くと、一度は怒りましたが、まもなく、奥さんの訴えはかなり「まゆつばものだ」と気がついたでしょう。しかしこう騒ぎが大きくなっては、そのままにしてもおけません。
 そこで、自分が責任を持っている収容所にヨセフを入れました。一種の獄屋ですが、人殺しや、泥棒のような、乱暴破廉恥な連中の獄ではなく、思想犯、政治犯の収容所でした。
 彼らは今の政府のもとでは罪人ですが、ひとたび世が改まれば、すぐに、政治家、指導者、官吏にもなれる人で、教育あり、教養ある紳士たちなのです。ヨセフはここで多くの秘密を見聞し、それによって社会、政治、経済などの奥深く高度な勉強をすることになりました。
ヨセフはまたしても、いわゆる「罪なくして島流し」の、身に覚えなき悲運を悲しみ、無念の思いは禁じ難かったでしょうが、聖書に書いてあるように、ここでもまた「主はヨセフと共におられて、彼にいつくしみをたれ、獄屋番の恵みをうけさせられた」のです。
 我も人も憂鬱な獄屋の中で、彼の柔和、忠実、謙遜、公正、同情は自ずから彼の一身に囚人の信望を集めたので、暫くたつと、獄屋番は次第に囚人の管理をヨセフに委ねるようになり、その一切の事務、管理、責任をヨセフが代行することになりました。
 神の祝福はかくて、関係者すべてに及ぶようになった。獄屋番は、すべてをヨセフに委ね切って、自分は一切を顧みず、ただ地位、肩書き、報酬受け取り、ヨセフは無冠、無報酬で、実際には獄屋番の責任を負うことになったのです。
料理役と給仕役  (これから40章になります)
 伝説によると、前にお話したような政情不安からでしょうか、エジプト王毒殺未遂事件が起り、嫌疑を受けた者が一斉に逮捕された中に、日頃から王様のお気に入りだった給仕役の長と料理役の長がいて、ヨセフと同じ獄に下されて来ました。
 実は買収されて、王の毒殺を計ったのは料理役の長で、給仕役の長はまきぞえをくい、濡れ衣を着せられたらしく、気の毒な始末でした。いずれにせよ獄中で、二人ながら不安と憂悶の日を送っていました。
 この二人にとっても、ヨセフはよい友だち、よい話し相手になったでしょう。ところがだんだん日がたって、今年も王様の誕生日の祝日が三日後に近づいて来ました。この日の祝宴は、二人にとっていつも晴舞台でした。
それを思うと二人とも感慨無量でしょう。一方王様の方でも、何しろ長い間のお気に入りの家来でしたから、せっかくの誕生日の祝宴にあの料理役と給仕役の長がいないのは淋しいに違いありません。
 多分王様は、この際事件を徹底的に究明して、もしその罪が濡れ衣だったらすぐ解放して、同じことならお気に入りの彼らに、大切な楽しい祝宴の用意をさせたい。有罪がはっきりなら最も憎むべき裏切り行為であるから、思い切って処刑させようと考えるに違いないのです。一人はこれに希望をかけ、ほかの一人は反対に、その結果を恐れなければなりませんでした。
 二人はそのことを思いつつ、ベッドに入ってもなかなか眠れないで、やがて浅い眠りの中で二人ともそれぞれ夢を見ました。翌朝起きてからも二人が憂鬱な顔をしているので、親切で優しいヨセフはすぐ気がつきました。そしてそばへ行って訳を尋ねました。
 給仕役の長の夢はこうでした。
 「私は明るい太陽に照らされたぶどうの木を見ていました。すると三本のつるがするすると伸びて、芽が出て花が咲き、大きなぶどうの実がなりました。気がついてみると自分の手に、いつも王様にぶどう酒を差し上げる金の杯があったので、その中にぶどうをしぼると、すぐ熟しておいしいぶどう酒になりました。それを王様に差し上げると、王様はご機嫌良く召し上がりました」
 ヨセフはいつものように、神様の教えと導きをお祈りしました。そして暫く考えていましたが、やがて言いました。
 「明るい夢ですね。あなたは『王様がよく調べてくれさえすれば、私の無実はきっとわかる』と思って眠ったのでしょうね。必ず夢のようになりますよ。三本のつるは三日の意味でしょう。きっとあなたは無実の罪が晴れ、牢獄から解放され、もとの地位につき、三日後の王様の誕生日の祝宴には、もとのように、あなたの手から王様に杯を差し上げるようになるでしょう」
 「でもそうなった時に、私のことも覚えていてください。私もあなたのように、無実の罪のために牢に入れられているのです。私は遠いヘブルの地から売られて来た者で誰も身寄りがいません。あなたがもう一度王様のおそば近く仕えるようになったら、私のことを王様にとりなしてください」
 調理役の長も、そばでこの話を聞いていましたが、結末が大変良くなって来たので、自分の夢も話してみようと思いました。
 「ヨセフさん。聞いてください。私の見た夢はこうなのですよ。私は夢の中で王様に差し上げるおいしいパンとお料理を、バスケットに入れ頭に乗せて運んでいました。(ああそのバスケットの数も三つでした)ところが死人の肉を好む不吉な鳥が、いやな鳴き声をたてながら、追っても追ってもついて来て、バスケットの中の、王様に差し上げる大切なお料理や肉やパンを食べてしまいます。どんなに鳥を追っても、どんなに逃げようとしてもだめで、とうとうみんな食べられてしまった。私は汗びっしょりで震えていたのです」
 今度はヨセフは、もっと長く祈っていましたが、やがて気の毒そうに言いました。
 「不吉で恐ろしい夢です。あなたは恐ろしい罪を犯したのですね。こんど王様は徹底的に調べて、あなたの犯罪をお知りになるでしょう。あなたは三日の間に『はりつけ』にされて殺されるでしょう。王様のお憎しみが深いから、お葬式も許されず、死骸はさらされたままであの不吉な鳥がそれを食べるでしょう」
 エジプト人は死んだ後も、体を腐らないように保存しておけば、いつか魂が戻って来て復活できると考えていました。だから王様や貴族は、大変な手間とお金をかけて死体をミイラにして、立派な棺に納め、たとえばピラミッドのような堅固なお墓に葬ったのです。庶民や貧しい人でも、死体を一種の薫製にしたり塩漬けにしたりして、少しでも長く保存しようとしました。そういう国で、死体をさらしものにして鳥に食わせるとは、極刑も極刑、死後の望みまでも奪おうというので、全く絶望的な運命というほかありません。
 しかし感謝すべきことに、ヨセフはこういう人に対しても語るべきメッセージを持っていました。
 ヨセフはすっかり悲観して青ざめてしまった料理役の長に向かって、王様の怒りよりもエジプトの迷信よりも、本当に恐れなければならないのは、死後に明らかになる真の神の裁きであることを教えたでしょう。いま死刑になる料理役の長も、釈放される給仕役の長も、またヨセフも、神様の前には等しく罪人なのです。しかし悔い改めと信仰によって(ヨセフはやがて地上においでになる約束の救い主についても、話してあげることができたはずです)人は罪の許しと、永遠の命を頂くことができるということも、話したでしょう。
 三人はここで、熱心にお祈りしたと思いますが、間もなく二人とも夢のとおり、あるいはヨセフの言葉のとおりになりました。死刑になった料理役の長も信仰によって救われ、天国に行ったでしょうか。イエス様とならんで十字架につけられた強盗の一人も、悔い改めてキリストを信じ、天国に行きました。私たちが天国に集まる時、救われたこの料理役の長にも、会えるといいですね。
王様の夢  (これから41章です)
 ヨセフは給仕役の長に、自分のこともよく頼んだのですが、しかし彼は釈放されると喜びで有頂天。王様もお喜びになるし、家族も大喜び、自分もまた多忙な職務に戻ったので、ヨセフのことはすっかり忘れてしまいました。
 待てど暮らせど音沙汰なしで、ヨセフもがっかりしたでしょうが、もう少し忍耐するのが神様のみ心のようでした。ヨセフは祈りながら黙々と、牢の中で忠実に自分の職務を果たしていました。
 暫くたったある日のことです。今度はエジプトの王様が夢を見ました。
夢の中で王様はナイル川の岸に立っていました。
 エジプトは大体砂漠の国で、幅20キロから100キロのナイル川の沿岸だけが耕地なのです。飛行機から見ると、これが砂漠の中の青いリボンのように見えます。そこから取れる作物、そこで飼われる家畜によって、エジプト人は生活している。それゆえナイル川はエジプトの生命線で「エジプトの母」などと呼び、この川を神として礼拝さえしていました。
 王様が夢の中で、ナイル川の岸に立っていると、豊かな麦畑が広がり、牛が遊んでいます。よく熟した麦は涼しい風にそよぎ、牛の群れはのどかに川岸の草を食べています。これこそエジプトの豊穣の象徴です。王様は満足な気持ちで、つやつやした背中を見せながら草を食べている、特別に立派な七頭の雌牛を見ていました。
 ところがどうでしょう。この雌牛たちは後からそこに現れた、痩せて筋張った、これも七頭の醜い雌牛たちに、みんな食べられてしまいました。
 畑では、立派な七つの穂を持った麦が、後から出て来た、東風にしなび、飢饉の年に特有な醜い麦に、飲みこまれてしまい、惨憺たる景色になりました。
 にわかにあたりは淋しく恐ろしく、今はナイル川も灰色の波をたてています。
 王様はうなされています。やっと目が覚めると、この夢の意味を考えますが、わかりません。ただ恐ろしさと不安でいっぱいでした。
 この王様は良い王様ですね。いつも国民の繁栄と幸福について、責任も感じ心配もしているので、王様なのに、こんな農場の主人のような夢を見たのでしょうね。
 翌朝すぐに国中の学者や宗教家が呼び集められました。そして王様から、昨夜見た夢の意味を考えるように求められました。しかし誰にもこの夢の意味が分かりません。学者たちは面目にかけてもいろいろ説明を試みますが、この賢明な王様に納得も、信頼も、安心も与えることができません。ところがこの大騒ぎの中で、王様のそば近くにいた給仕役の長は、ハッとヨセフのことを思い出しました。「ああ、自分はとんでもない恩知らずだった」と心に責められたでしょう。すぐに王様の前に平伏して、ヨセフのことを王様に推薦しました。彼の熱意と、彼が語る事実には非常な説得力がありましたので、みんな心を動かされました。
 ヨセフはこの日、牢役人と一緒に入って来たあの給仕役の長の、見違えるほど立派な姿に、まず驚きました。彼がヨセフの手を取って泣きながら謝った時、ヨセフはいつものように微笑していたでしょう。しかしその用件を聞いた時は、目を丸くしてびっくりしたでしょう。
 ヨセフはすぐ牢から連れ出され、体を清め、髭を剃り(これは文字で記された最古の髭剃りの記事だそうです。ヨセフの故郷イスラエルでは髭を剃るのは大変な恥辱でしたが、反対にエジプトでは、無精髭は不潔で失礼でした)運ばれて来た立派な衣服をつけると、ただちに参内し、王宮の大広間でエジプト王の前に立ちました。
 エジプト王の質問に対してヨセフは答えました。
 「私は何も分かりませんが、私の信じている神様はみ心を示して王に平安をお与えになるでしょう。私はそのために祈りましょう。どうぞ夢をお話ください」王様から夢の話を聞くととても真剣になって「私に少しお祈りする時間をください」
 別室で祈ったり考えたりしているうちに、神様からこの夢の意味を示されました。しかもこれはエジプト王と国民の運命にかかわる重大な問題でしたから、ヨセフは非常な責任を感じました。それは牢獄の中で給仕役と料理役の長に対して話かけたり祈ったりして、何とか解決の道を一緒に考えないではいられなかった、あの同じ思いやりと、親切と知恵、つまり愛の心だったのです。
 「神様、これは大変なことです。エジプトの王様と民衆は、この難関をどのようにして切り抜けることができるのでしょうか」これがヨセフの次の祈りでした。そして今度王様の前に立つ時には、夢の意味を説明するだけでなく、この事態に対する大体の対策と構想も神様によって与えられ、必要な場合は王様に助言、提案する用意ができていたのです。
 ヨセフは王様に説明しました。
 「天の神様は夢をとおして、近く始まろうとしている七年の大豊作と、その次にやってくる7年の大飢饉について、あらかじめお知らせになったのです。飢饉はひどくて、前の豊年の結果は完全に失われ、国は滅亡の危険にさらされるでしょう。今や王は賢明な総理大臣を必要としています。全国の役人に命令して、豊年の期間、国民から全収穫の五分の一を取り立てて貯蔵するようにしなさい。これが行われなければ、贅沢とむだ使いと物価の変動のために、豊年もかえって害になります」
 「収納した穀物は大切に保管して、飢饉の時に放出すれば、国は滅亡をまぬかれ、国民は王家に感謝し、いよいよ王家をあがめ服従するようになるでしょう。王よ。猶予はなりません。ことを急ぎなさい」
 王様はこの話の間、ヨセフが天の神様について証するのを聞きました。豊作も繁栄も、ナイル川でなく、天の神様の恵みによるのです。神様は試みをお与えになることもありますが、その時もなすべきこと、逃れる道を教えてくださるのです。そして最後には「すべてのことが益となる」ように導いてくださるのです。ヨセフの話はその真理を語っていました。
 ヨセフは少年時代から、順境にも逆境にも、この神を信じ、この神と共に歩み、この神に従って来ました。それゆえヨセフの生活も、そのたずさわる事業も失敗がなく、いつも神の祝福を受けて来たのでした。
 王様はそういう人が今、目の前に立っているのを見ました。そして尊敬と信頼と愛情が心の中に満ちて来るのを禁ずることができませんでした。それはかつてキャラバンのボス、ポテパル、牢屋番の心に与えられた感動と同じものでした。
 王様は言いました。
 「我々は神の霊に満ちたこのような人を、ほかに見出すことができるだろうか。今あなたが言われたことはすべて、神があなたに示されたのです。あなたは神の教えと力によって、わが王家と全エジプトを治めてください。全国民はあなたに従うでしょう。私は全権をあなたに任せます。私が確保するのは王位だけです」
 これもまたポテパルや牢屋番と同じでした。

第二回 ヨセフ物語はここまです。 (ご感想とうをお寄せください)
次回をお楽しみに