館林キリスト教会

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ヨセフ物語(1)

館林キリスト教会牧師 小林 誠一
キリストに似た人  聖書の中には大勢の人物が出てきますが、性質とか遭遇が一番キリストに似ているといわれる人は誰でしょう?
 人間には誰も欠点や失敗があります。しかし、聖書の中にすばらしい人格と生活が記されていて、欠点や失敗の記事がなく、その意味で完全な人といわれるのは誰でしょう。
 それがヨセフです。
 ヨセフのお話は創世記37章からあとに記してあります。これから、ヨセフのお話をいたしましょう。
ヨセフの夢 大昔、今から3、500年も前のことです。ヨセフはイスラエル(前の名前はヤコブ)の、12人の子供たちの中で、末から二番目に生まれました。
 イスラエルは、信仰の父と言われたアブラハムの孫です。その一族はずっとパレスチナに住んでいましたが、神様の祝福によって非常に豊かな家族になっていました。そして先祖代々、遊牧の生活、つまり、牧草を求めてテントを移動しつつ、沢山の羊や、らくだや、ろばを飼って生活をしていました。
 家庭はなかなか複雑でした。イスラエルはまだヤコブという名前で、ハランに寄留していた頃、事情があってレアとラケルという二人の妻と結婚しました。これは大昔のことだし、いろいろな事情もありましたが、それでも良くないことでした。そしてイスラエルは二人の妻のうち、美しいラケル(これこそ恋女房だった)を深く愛していました。
 やがてレアは10人の子供の母となりましたが、ラケルにはなかなか子供が生まれませんでした。遅くなってヨセフが生まれ、次にベニヤミンが生まれましたが、ラケルはベニヤミンを生んだ時、まだ若かったのに亡くなりました。
 イスラエルが、母に似て美しく、そして賢明で、しかも遅く生まれ、もう母のいなくなったヨセフを、特別に愛したのも無理はありません。
 イスラエルという名は、彼がハランから帰国する途中、ペニエルで祈った時、神様から深い霊的なお取り扱いを受け、その記念として神様から与えられた名前なのです。彼はその時神のしもべとして、別人のように立派な人に変えられました。新しい名前はそのしるしとして与えられたのでした。
 それゆえ、以前、まだヤコブと呼ばれていた頃は、霊的にも、信仰的にも、そしてまた環境的にも、子供を神を敬う人として育てるのに、適当な状態だったとは言えなかった。そのせいか、上の10人の兄たちは、決して立派な人ではありませんでした。
 ルベンとユダについては恥ずかしい性的な失敗が、シメオンとレビについては、戦争と殺人と掠奪のことが聖書に記されています。
 しかし、改名後の父親イスラエルに育てられたためか、ヨセフは信仰的にも、人格的にも立派でした。お父さんのイスラエルは、ヨセフとベニヤミンを、あの兄たちから少し引き離して育てたようです。そしてまるで、身分の高い家の息子のような立派な身なりをさせていたので、兄たちは「おやじの奴、おれたちをさしおいて、ヨセフをこの家の後継ぎにするのじゃないか」と邪推するしまつでした。
 ヨセフは単純な正義感から、兄たちの行為に感心できないところがあると、すぐ、お父さんに話しました。これはお父さんと話し合って、正しいことと間違ったことについて、自分の考えを確かめる、一種の学習なのでしょうが、結果的には言い付け口で、兄たちには都合が悪かったでしょう。
 またヨセフはよく夢を見ました。畑で兄弟そろって麦束を作ったところ、兄たちの麦束が、ヨセフの麦束におじぎしていたというのです。別の夜には、太陽と月と11の星が、ヨセフをおがんでいる夢でした。ヨセフは無邪気だから、すぐそれを話しました。
 お父さんは喜んで聞いていましたが、兄さんたちは、面白くありませんでした。
 「フン、おれたちだけでなく、お父さんやお母さんまで、末っ子のお前に敬礼するというのか。バカバカしい」兄たちはヨセフに対しては、いつもそういう冷たい態度でした。
 ヨセフは自信があって、理想の高い少年でした。その気持ちが自然に、夢の中に出てきたのでしょうね。
 よい人にはよい人特有の誘惑があり、優れた人にもまた、特別なわながあります。
 ヨセフが父親から受けた偏愛も、また優秀な素質も、そのままにしておいたら、彼を高慢、ひとりよがり、弱い人に対する無理解など、鼻持ちならない人物にしてしまう可能性がありました。
 しかしヨセフは、事実、最もキリストに似た人格者として成長して行きました。その理由は何でしょう。
 第一にヨセフは、神と共にその光の中を歩きました。神様からの光によっていつも反省し、神様の恵みによっていつも、きよめ、ととのえて頂きました。ヨセフの人格は信仰の賜物でした。
 第二にヨセフは、神様から非常に厳しいご訓練を受けました。長い間の悲しい、苦しい経験という点でも、ヨセフは聖書中有数の人物です。
 「そのことを思って、今しばらくのあいだは、さまざまな試錬で悩まねばならないかも知れないが、あなたがたは大いに喜んでいる。こうして、あなたがたの信仰はためされて、火で精錬されても朽ちる外はない金よりもはるかに尊いことが明らかにされ、イエス・キリストの現れるとき、さんびと栄光とほまれとに変るであろう」と「ペテロの第一の手紙、1章6、7節」に書いてあるとおりです。

嫉妬と殺人  ヨセフが17才のある日、兄たちはシケムの方に行って羊を飼っていました。暫く連絡がないので、イスラエルはヨセフをやって、兄たちの安否を問わせようとしました。
 ヨセフは喜んで用意を整え、お父さんからの沢山のおみやげをろばに載せて、元気よく出かけて行きました。
 道が分からなくなってうろうろしていると、親切な人が教えてくれました。兄たちがシケムからドタンにまわったと聞いて、ドタンまでたずねて行きました。
 砂漠の生活と、羊飼いに慣れた、目の鋭い兄たちは、遠くから来るヨセフの姿を早くも認めました。
 「おや、ヨセフが来たぞ。あいつめ」などと笑っているうちに、少しずつ兄たちの顔つきが変わってきました。恐ろしい、悪い考えが出てきたのです。
 「妬み」や「憎しみ」は人殺しの卵です。イエス様が山上の説教で教えてくださったとおりです。兄たちの、日頃のヨセフに対する「妬み」と「憎しみ」は、この時、この絶好の条件のもとで、恐ろしいヨセフ殺しの相談と決意にまで熟しました。
 遠くから手を振るヨセフの姿を見ながら、兄たちはしゃがんで相談を始めました。
 「さあ、例の夢見る者が来たぞ。殺してそこにある空井戸に投げ込んでしまおう。そしたらあの生意気なヨセフの夢はどうなるか。ざまを見ろだ」
 どうも良い相談よりも、悪い相談の方が手早くまとまるし、気分にもはずみがつくのは困ったものです。
 ところが、意外にことが重大な勢いになってきたので、長男のルベンはあわてました。「何も殺すことはないさ。そのまま穴に投げ込んでおけば自然に死ぬだろう」
 さすがに手ずから殺すよりも、その方が良かったのか、案外みんな賛成して、泣いて許しを請うヨセフを捕まえて、むりやり穴に投げ込んでしまいました。
 この間の事情の詳しいことは、42章21節以下の兄たちの言葉によっても、知ることができます。
 ルベンのように、はじめは悪事の仲間に入っていて、みんなに勢いがついてから、驚いて途中で抜けようとしたり、その勢いを引き戻すことは困難です。悪いことだったら、軽く見えても、最初から仲間に入らない方が良い。
 兄たちは、そこに座って食事を始めました。何と言う無情な人たちでしょう。そして目を上げて見ると、向こうの道を、らくだを連ねたキャラバンが進んで行くのが見えました。
 彼らは東の国から、主として高価な香料を買い集め、エジプトに持って行って売ろうというキャラバン(隊商)でした。香料は、お金持ちで贅沢なエジプトで珍重されたのでしょう。お料理にも、お化粧にも、医薬品にも沢山使われました。帰りにエジプトの工芸品や、貴重な産物を持って帰れば、これもまたいい商売になりました。彼らは東北方面からギレアデに入って南下し、ヨルダン川を渡り、ドタンあたりを通過して南西に向い、地中海岸に出てまた南下し、エジプトに行くのです。
 兄たちは相談の上で、ヨセフを奴隷として彼らに売り渡しました。白い歯を見せて笑うイシマエル人と、こうかつな駆け引きの末に、ヨセフを穴から引き上げ、銀20枚と引き換えに、ヨセフを渡しました。ヨセフはもう、ただ泣くだけだったでしょう。
 生活程度が高く、産業の盛んなエジプトでは、どこでも人手が必要で、奴隷ならいくらでも買いますから、彼らにとって、これもいい商売になる話だったのです。
 ヨセフは少年の奴隷としてキャラバンの人たちに追い使われながら、エジプトにくだって行きました。
鈴が鳴る鳴る砂丘をこえて
今日も明日も旅ぐらし
ずっとならんだらくだの影に
ヨセフせっせと歩いてた

国はだんだん離れて行くに
金で売られた奴隷だに
テントはるやら水はこぶやら
ヨセフせっせとかせいでた

夜はけものの鼻息ばかり
空にゃチカチカ星ばかり
ヨセフ寝たかとのぞいて見たら
一人すわって祈ってた

     (小林牧師の若い時の作品です)
兄たちは、はぎ取った着物をずたずたに裂いて、動物の血をぬって、父親のイスラエルのところに届けました。父親はこれを見ると、それは確かにヨセフの衣服でしたから「ヨセフは恐ろしい事故に会ったのだ。悪い猛獣に出会って、裂き殺されたのだ」と泣きました。人々が慰めようとしても、とても受け付けないで「私は嘆きながら墓に入ろう。早くかわいいヨセフのところに行きたい」と言うのでした。
ピラミッドの国  (ここまでが37章で、これから39章です)
 砂漠にピラミッドがそびえ、ナイル河に葦がそよぐエジプトにヨセフは来ました。
 キャラバンのボスは、エジプト王パロの宮廷に仕える侍衛長ポテパルにヨセフを売り渡しました。
ポテパルはこのあとの話からも、立派な紳士であることが分かります。ヨセフにとって願ってもない勤め先でした。
 ヨセフには選択する自由はなかったのだから、おそらくこれはキャラバンの頭の配慮だったと思われます。わずかの日々でしたが、ヨセフはすでにキャラバンの人たちの愛顧を受けたのでしょう。これがすでに「神の恵みとよい人格の証」によって、ヨセフの生涯が明るく導かれる手始めだったと思われます。

第一回 ヨセフ物語はここまです。 (ご感想とうをお寄せください)
次回をお楽しみに