館林キリスト教会

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市川副牧師 コラム集(21)

 土器のかけら 2008年4月27日

 土器のかけら古代イスラエルの遺跡からおびただしい数の土器や土器のかけらが出土し、形や色、厚さ、湾曲の具合や、角度などの違いによって、出土した地層の時代を確定することが可能だということです。貯蔵用の大がめ、水がめ用の大壷、香油用の小瓶、ランプなど、土器の種類も多様だということです。
 土器片は重しなどにも使われましたが、さらに大切な用途もありました。書板として用いられることも多かったようです。土器片をとがった物で引っかくようにして文字を刻んだのだそうです。王宮貯蔵庫の出納記録、書簡など、文字が記された土器片(オストラコン)が多数発掘され、これらはイスラエルの歴史を知るための貴重な資料だということです。
 エルサレムには、「瀬戸かけの門」と呼ばれる門があり、陶器師の仕事場が近くにあり壊れた土器の捨て場があったようです。この門は、ベンヒンノムの谷に下る道に続いていました。
 あるとき、エレミヤは主のみ声に従って陶器師の家に出かけ、ろくろを回している仕事を見ました。「粘土で造っていた器が、その人の手の中で仕損じたので、彼は自分の意のままに、それをもってほかの器を造った。」(エレミヤ書18章4節)。このときエレミヤに主のみ言葉が臨みました。「…イスラエルの家よ、陶器師の手に粘土があるように、あなたがたはわたしの手のうちにある」(同18章6節)。
 主に立ち帰るなら、主は新しく造り変えてくださる方なのです。

 大麦、小麦 2008年5月25日

 遊牧で生活していた族長たちの様子が旧約聖書に書かれています。遊牧でも彼らの生活に欠かせないのはパンでした。アブラハムも来客の際、上等な麦粉でパンを焼かせています。人々は、パレスチナに飢饉が激しいときは南のエジプトに赴くことも多かったようです。そこで穀物を買い入れたのです。
 イスラエルの民は、次第に農耕に移行し、穀物の中でも大切な作物はパンを作る麦でした。おもに大麦と小麦が栽培されましたが、小麦のほうがパンに適していましたので、価値がありました。大麦は乾燥に強いので荒れ野に栽培されました。秋に種を蒔き、6月、7月に収穫しました。大麦はこれより一ヶ月ほど早く蒔き、収穫します。
 収穫時には穂先を切り取り「打ち場」に集め、その上を牛やロバに脱穀車を引かせ、踏み潰すようにして脱穀しました。それを風のあるとき高く投げ上げ、軽い籾殻を吹き分けました。
 石臼で引いて粉にし、酵母を加え、しばらくねかせて焼きました。薄い円盤形にしたパン生地をかまどの内側にはりつけたり、パン焼き皿で焼きました。
 出エジプトを記念する過越の祭では、醗酵させている時間もなく急いで脱出した当時にならって、酵母を入れない「種なしパン」を食べるのです。