館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2009年10月

「主はわたしの羊飼い」  詩篇23:1、2 市川副牧師 

2009年10月25日
 今朝も続いて教会においでくださり、心から歓迎いたします。
 愛するご家族、気の合う友達が、あなたを、いろいろな形で支えてくださるのは、心強く、嬉しいことです。
 今朝は、あなたに、さらに、おひとりの方をご紹介しましょう。その方と、お知り合いになっていただきたいからです。初対面なら「はじめまして」と、あいさつをしていただきたいのです。なぜなら、その方は、あなたを愛して、あなたとともに歩んでくださろうと待っていてくださったのですから。
 有名なダビデ王は 「主はわたしの牧者であって わたしには乏しいことがない」
と、真の神様である主が、生涯ともに歩んでくださった幸福を歌っています。
 あなたが、親しく、主なる神様に心を開くなら、主は、今日からずっと、あなたとともにいてくださるのです。お祈りすると、主は、祈りに耳を傾けてくださり、主も、聖書のことばによって語りかけ、あなたを導き、新しい力を注いでくださるのです。 (市川)

「誰も書けなかったラブレター」  エレミヤ書31:3 矢野 譲師 

2009年10月18日
 今朝は、この特別伝道月間のメイン講師として、浦和キリスト教会牧師の矢野譲先生をお迎えしました。
 昨年の十一月の伝道礼拝に矢野譲先生をお招きした時、皆さんがとても感銘を受けられたようです。そこで、誰がいうともなく、来年の特別伝道月間には、矢野先生を、という声がありました。
 先生のお話は、わかり易く、聞き易く、生活に密着しているので、自分の生き方にピッタリ適用し易いという特徴があると思います。
 そして魅力的なのは、先生のお人柄です。穏やかさの中にも、筋の通ったお話をしますので、先生と付き合えば付き合うほど親しみを感じます。教団の誇る優れた牧会者のひとりです。説教家として、また奏楽者としても素晴らしい賜物を持っていらっしゃいますが、謙遜な先生は、あまり目立つことがありません。
 今朝先生は「誰も書けなかったラブレター」と言うテーマでお話して下さいます。先生を通して語られるあなたへの神様の愛のメッセージに耳を傾けてお聞き下さい。       (伊藤)

「真理の道なるキリスト」 エペソ人への手紙2:10 伊藤 牧師 

2009年10月11日
 イエス様は十字架にかかられる前の晩、弟子たちに「わたしがどこへ行くのか、その道はあなたがたにわかっている」と話しました。
 しかし「道を知る」には、何よりもまず、どこに行くのかを知らなければなりません。そこでトマスは「主よ、どこにおいでになるのか、わたしたちにはわかりません」と言ったのです。
 するとイエス様はトマスに対して、「わたしは道であり、真理であり、命である。」と答えられたのです。
 イエス様が、ここで語った「道」とは、神の国に至る道のことです。しかも「わたしによらないでは」と言われたように、神の国に至る唯一の道だということです。そして私たちはだれでも、神から遣わされた救い主イエス・キリストを通して父のみもと、すなわち神の国に行くことができるのです。
 それと共にイエス様に救われた人生が、どんなに生きがいのある真理の道、命の道であるかを示しているのです。
 今朝は私たちに「真理と命の道」を示されたイエス様の話をします。(伊藤)

「命の光なるキリスト」 ヨハネによる福音書8:12 伊藤 牧師 

2009年10月4日
 私たちが活動する時、道を歩く時、光がないと危険である。光がないと仕事はできないし、道ではいろいろな危険にぶつかるかもしれない。
 また、私たちは活動することだけが人生ではない。私たちの役割・使命・生きる意味などを考える時も光がないと危険である。
 キリストが「私は世の光である」とおっしゃった意味は、私たちが事務や運転をする時の光という意味ではなく、私たちの人生そのものを照らす光であるということである。
 個人個人の人生を考える時にも、世界の歴史を考える時にも、キリストは全部を照らす光である。しかし、キリストが現実のあなたの光であるためには、一つの条件がある。ちょうど電線は全部の家庭に引かれていても、スイッチを入れることが自分の部屋を照らすための条件であるように、キリストがあなたの光となるためには、キリストに従うということが必要である。
 今朝は、キリストが私たちのどんな光となって下さるかをお話したい。(伊藤)