館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2009年3月

「最後の晩餐」 ヨハネ福音書13:1 市川副牧師 

2009年3月29日
 イエス様が全人類の罪の身代わりとして十字架につけられる日が近づいていました。イエス様はただ父なる神様の御心を行なおうとしておられました。
 十字架の前日、イエス様は過越しの食事の準備をするように、ペテロとヨハネを遣わしました。エルサレム市内のある家の二階の広間に準備が整いました。夕方になると、弟子たちとこの部屋に集まり最後の食事をおとりになりました。
このときイエス様は最後まで彼らを愛しとおされ、仕える姿を示して、弟子たち一人一人の足を洗ってくださったのです。弟子たちは驚き戸惑いました。それはペテロの言葉によく現れています。
 弟子たちはやがて、捕らえられたイエス様を残してちりじりに逃げて行く人々です。ペテロは三度も主を知らない、と言うのです。しかしイエス様はすべてをご存じのうえでなお、彼らを愛しとおされたのです。 後々まで弟子たちの心には、主の愛と謙遜のお姿が深く刻まれたことでしょう。    (市川)

「エルサレム入城」 マタイ福音書21:1〜3 市川副牧師 

2009年3月22日
 イエス様は洗礼をお受けになって、約三年の間イスラエルの国を行きめぐりました。この三年の間、イエス様は、福音を語り、人々のために祈り、病を癒し、伝道に没頭なさいました。
 今、公生涯三年目の「過ぎ越しの祭り」が訪れました。イエス様は弟子たちとエルサレムに向かっていました。
「過ぎ越しの祭り」はイスラエルの人々が毎年守る大切な祭りです。かつてイスラエルの人々は、エジプトで何百年もの間奴隷でした。やがて、神様の導きによって、モーセを先頭にエジプトを脱出しました。この時の神様の御業と助けを記念するのです。
 「過ぎ越しの祭り」には、エルサレムの神殿で礼拝を守るために、イスラエルの国中から人々が集まりました。それだけでなく、各国で生活していたユダヤ人たちが、この時エルサレムに集まって来るのでした。
 イエス様は、エルサレムを目前にして、ろばの子にお乗りになって、城壁に囲まれたエルサレムにお入りになりました。これは「救い主」の入城でした。    (市川)

「エサウとの再会」 創世記33:1〜11 伊藤 牧師 

2009年3月15日
 ヤコブはペニエルにおいて御使いと格闘し、祝福を受けました。名をヤコブ「押しのける者」からイスラエル「神の皇太子」と変えられ、その歩みにも大きな変化が見られます。
 今度は、エサウが四百人の従者を率いてくるのを見ても恐れませんでした。
ペニエルの経験以前のヤコブは、エサウに会うことを恐れ、贈り物を持ってなだめ、攻撃を受けた時は、すぐ逃げられるように後ろにいたのです。
 しかし、この朝は違います。もののつがいをはずされたヤコブは足を引きずっていましたが、家族を後にし、自分が一番危険な先頭に立って進みました。
 兄エサウに近づく前に七回も地に伏してお辞儀をしています。その中に、彼が砕かれ、変えられた謙遜の姿を見ることが出来るのです。また、ヤコブは、エサウに「あなたと一緒にいるこれらの人々はだれですか」と尋ねられた時、「神がしもべに授けられた子供たちです」と答えています。そうした中に、神様に栄光を帰するヤコブの信仰の成長を見る事が出来るのです。   (伊藤)

「神に会う備えをせよ」 アモス書4:12 伊藤 牧師 

2009年3月8日
 間違いだらけの統計学という本の中で、唯一、百パーセントの正しい統計、それは「人は必ず死ぬということだ」、と書いてあります。
 そして聖書は、いつのことかわかりませんが、すべての人が神様の前に出るときが来ることを教えています。だから人は、いつ神様が召してくださっても、喜んで神様の前にでることが出来るように、神に会う備えをすべきなのです。
  中世の修道士たちは、互いに出会う時、メメント・モリと挨拶をしたそうです。メメント・モリとは、ラテン語で「死を忘れるな」という意味で、すなわち、「死を覚えよ」ということです。それは、死を覚え、今生きている、否、生かされていることを感謝し、今をかけがえのない、二度とこない今を精一杯生き、悔いのない生活をしようと誓い合ったからだそうです。
  だから私たちは、天国に入る備えが出来て、はじめてこの世で確かな歩みが出来るともいえるのです。今朝は、一人一人「神に会う備え」が出来ているかを確認しましょう。      (伊藤)

「初代教会の進展への気運」 使徒行伝9:19b〜25 伊藤 牧師 

2009年3月1日
 先月は、キリスト教迫害者サウロが奇跡的に回心した時、そこで用いられたアナニヤという人について学びました。
サウロは回心後、何をしたのでしょうか。そのことが十九節から三十節に記されています。
彼は直ちに、諸会堂において回心の経験を語り、「このイエスこそ神の子であると説きはじめた」のです。
この後、サウロはアラビヤの砂漠に退き、瞑想、訓練のために三年間を過ごし、再びダマスコに戻ってきました。
エルサレムでのサウロの行動を知っているユダヤ人たちは、容易に、彼の回心の真実性を信じませんでした。ステパノ殺害の首謀者サウロがそのように急変するとは信じにくかったからです。
しかし神様は、バルナバを用いて、サウロをクリスチャンの仲間に入れてくださったのです。
こうして教会は、「ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増して行った。」のです。  (伊藤)