館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2007年7月

「私のいちばん好きな国」 黙示録21:1〜8 久保田邦光 

2007年7月29日
 皆さんは、結婚式とお葬式に出席してどちらが恵まれますか?と少し変な質問ですが聞かれたらどう答えますか?私はお葬式ですと答えます。
 結婚式はお祝いですから楽しく少し浮かれ気味になります。
 しかしお葬式は親しい人との別れですから悲しい集まりです。
 そのお葬式は、仏教、神道、キリスト教と大きく分けて三つくらいでしょう。
 最近は無宗教形式など色々な形で行われるようになりつつあるようです。
其の中で特にキリスト教のお葬式は、亡くなられた方を偲び、神様の教えを聴くときです。残された遺族や参列した人々に真の慰めと望を与え、厳粛な死と死後について考えさせられる貴重な時だと思います。
 このお葬式の時、牧師によって必ずキリストの福音が語られ、肉体の死が終わりでなく、キリストを信じた者にとって罪の世を離れて、天国への凱旋であるという、希望のメッセージが伝えられる恵の時だからです。   (久保田邦光)

「信仰と勇気」  ローマ人への手紙8:31〜37  伊藤 牧師 

2007年7月22日
 今日の洗礼式において、四人の兄弟姉妹が受洗するに至った事は本当に嬉しく思います。また大勢の方々が祈り、導いて下さった事に心から感謝します。
さて、洗礼を受けたということは、信仰生活が完成したいうことではなく、いよいよ本格的な信仰生活が始まるということです。
 人生が戦いのように、信仰生活も戦いです。悪魔は、どうにかしてクリスチャンを滅ぼそうと、様々な方法で救いの確信を失わせようと訴えてきます。
 そこでパウロは、反語法で「だれがわたしたちに敵し得ようか」、「だれが、神の選ばれた者たちを訴えるのか」、「だれが、わたしたちを罪に定めるのか」、「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか」とたたみ込むように投げかけ、絶対にそんなことはないと強調しています。またその理由としてイエス様の十字架の愛を示し、クリスチャンたちを励ましているのです。
 今朝は、クリスチャンがこの四つの確信に生きていくために必要な信仰と勇気についてお話します。  (伊藤)

「確信と自由」 ペテロの第一の手紙 1:18,19  市川副牧師 

2007年7月15日
 来週は洗礼式が予定されています。神様の恵みのゆえに御名を崇めます。また、皆様のお祈りとご奉仕の実りを今年も与えていただき感謝いたします。
 洗礼をお受けになる方々は勿論、救われた私たちは、先祖伝来の空疎な生活からキリストによって解放されたことを確認しましょう。
また、これからの季節は、昔からの行事が地区などで行われることが多く、これらは、いろいろな因習や慣習などによっています。しかし、キリストを信じることによって、確信と真の自由を与えていただきました。
 聖書には「先祖伝来の空疎な生活からあがないだされたのは、銀や金のような朽ちる物によったのではなく、きずもしみもない小羊のようなキリストの尊い血によったのである」とあります。
十字架で流されたキリストの尊い血によって、救われ、解放され、神の言葉、真理に従う新しい生活が始まったのです。そして「心の腰に帯を締め」やがてイエス・キリストが再臨されるときを待ち望みつつ歩み続けましょう。(市川)

「役立つ人に変えられる」 ピレモンへの手紙8〜13 伊藤 牧師 

2007年7月8日
 ピレモンへの手紙は、パウロが小アジアのコロサイの町に住むクリスチャンピレモンに宛てた個人的な手紙です。
 ピレモン家の奴隷だったオネシモは、主人のお金を盗み、ローマに逃亡したのです。しかし彼の生活は、すぐ行き詰まってしまい、途方に暮れている時、パウロが囚人としてローマにいることを知りました。彼はパウロを訪ね、そこで福音を聞き、罪を悔い改め、キリストを信じて救われました。こうして彼は、「役に立たない者」からその名前のごとく「オネシモ」すなわち「役に立つ者」へと変えられたのです。
 そしてパウロは、このオネシモをピレモンのもとに返すことにしました。その時、パウロはピレモンに「彼を愛する兄弟の一人として受け入れてくれるように」と懇願しつつ書いたのがこの手紙なのです。
 ルターは「私たちはみな主のオネシモです」と言っています。つまりクリスチャンとは、役に立たない者でしたが、イエス様のみ力によって神様の役立つ者に変えられた者だというのです。(伊藤)

「初代教会の特徴(2)」 使徒行伝4:32〜37 伊藤 牧師 

2007年7月1日
 ペンテコステによって誕生した初代教会は、力強い神様の助けによって躍進を続けていました。弟子たちは、彼らの言葉で神様の力強いみわざを語り、人々を救いに導いていきました。
ペンテコステ以前には、百二十人ほどしかいなかった信徒が、ペテロの説教を聞いた結果、三千人ほどになりました。
その後も、神殿で開かれた午後三時の祈りの時にペテロとヨハネが出かけた時、「美しの門」の傍らに座していた足のきかない人を癒してあげたことを契機として、ペテロが説教すると男だけでも五千人が救われ、さらに大きな群れに成長していったのです。
これと平行して生じてきた、時の権力を握っていたサンヘドリン議会からの迫害、圧力等にも屈せず、弟子たちと教会は、ますます大胆に神のみことばを語り続けていったのです。
二章の終わりの部分には四章三十二節と似たような事が記されています。彼らの間では、こうした麗しい愛の交わりが自然だったとわかります。
今朝は、このような初代教会の特徴をご一緒に学びたいと思います。(伊藤)