館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2005年10月

「心の渇きを癒す」 ヨハネによる福音書4:13、14 伊藤 牧師 

2005年10月2日
  「人生は出会いで決まる」と言われるほど、自分の人生において誰と出会うかは大切です。
聖書に、ひとりのサマリヤの婦人がキリストと出会った記事があります。
彼女は幸福を求めて、自分のやりたいことを自由にやってきました。けれども、決して満足は得られず、町の人々と話すこともためらうような空しい、惨めな生活を送っていたのです。
暑い地方なので、昼間は人々が休んでいます。彼女は、そのすきをぬうようにして水を汲みに井戸にやってきました。その井戸のそばで彼女はキリストに出会いました。
キリストとのやりとりの中で、キリストは彼女に「わたしが与える水を飲む者は、いつまでかわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」言いました。
今までは何ものでも彼女の心の渇きが癒されませんでしたが、キリストは彼女が永遠の命に至る水を求めた時、彼女の心を満たして下さったのです。(伊藤)

「朽ち果てる事のない希望」 ペテロの第一の手紙1:3、4 ボーマン・ベアンテ師 

2005年10月9日
 今年の特別伝道月間のビッグ・イベントは、ボーマン・ベアンテ、ルリ子先生ご夫妻の素晴らしいチェロとピアノの演奏会です。
 きっと皆さんは心待ちにしていらっしゃったことと思います。
 チラシ、ポスター等でもご案内してありますように、ボーマン先生は、東京交響楽団の首席チェロ奏者としてご活躍中です。またカリフォルニア神学大学大学院より名誉神学博士号も受けておられます。神学校でも旧約聖書の釈義を担当しています。今回は、演奏と共に、聖書のお話もしていただけるのは感謝です。
 奥様のルリ子先生は、武蔵野音楽大学、ドイツのフォルクヴァンク芸術大学マスタークラスで学び卒業。ご結婚後、さらにフィンランドのヘルシンキの聖書学校で学び、現在、牧会神学博士号を有し、三つの教会の協力宣教師として日本で活躍しておられます。
 ボーマン先生のチェロ演奏の伴奏をつとめるルリ子先生の息のあったピアノ演奏は素晴らしいものです。(伊藤)

「神様の愛」 ルカによる福音書15:11〜13 市川副牧師 

2005年10月16日
  ご案内させていただいています十月中の日曜日ごとの礼拝に、今朝もようこそおいでくださいました。今朝初めてお見えの方、続いておいでくださっている方を心から歓迎いたします。
 聖書は、厚くて細かい文字がぎっしりと書かれていて、読むのも大変と、敬遠なさる方も多いかもしれません。
 今朝の箇所にはイエス様が話してくださった家出息子のお話が載っています。聖書にそういう話も書かれているのですか、と驚く方もいらしゃるかもしれません。
 イエス様はわたしたちの生活に身近で、興味深いお話をたくさんしてくださいました。あなたもこれを機会に「世界のベストセラー聖書」を手元において親しんでいただけるなら嬉しい限りです。
 さて、家出息子は裕福な父の家をあとにして遠いにぎやかな町にやって来ました。何の変化もない毎日の退屈な田舎の仕事からも解放され、父親の目ももう届きません。なんと言っても、父の財産から自分の分を受け取ってきたのです。これからは楽しく自由に生きるのだ、それが家出息子の気持ちでした。彼はどう生きたのでしょうか。 (市川)

「今日も生かされて」 ヨハネによる福音書5:1〜9 伊藤 牧師 

2005年10月23日
 「今日」という日を大切にする教えに、「日々是好日」とか「一日一生」ということばがあります。
イギリスのジョン・ラスキンは、机の上に「今日」という一語を刻んだ石を置いて、「今日」という一日の神様の恵みをしっかり受けとめて生きようと心がけていたそうです。
人間は不思議なもので、「老い先短い」と苦にして、今日という日の生きる喜びを失っている人がいるかと思えば、反面、「まだまだ人生は長い」と思い込んで、今日という日を怠慢や無為に過ごしてしまう傾向をもつ人も少なくありません。
イエス・キリストは、山上の説教の中で、空の鳥が思いわずらうことなく毎日を喜んでさえずっているのも、また今日は生えていて、明日は炉に投げ入れられる野の花が、栄華をきわめたソロモンにも及ばない程に、美しく装っているのも、みな自分の全存在を神様に委ねて精一杯生きているからだと教えました。
そこで今朝は、私たちが神様に日々生かされている恵みをお話します。 (伊藤)

「新しい人生の発見」 エペソ人への手紙2:10 伊藤 牧師 

2005年10月30日
  毎年、10月の特別伝道月間の第五週目は、よい映画を選んで上映します。
 今年は、ムーディ科学映画の中から「自然の驚異」を上映いたします。
 人間が今まで発明してきたさまざまな道具は、驚くべきことに、そのどれもがすでに自然の中に存在しているのです。
旧約聖書、詩篇十九篇一節には「もろもろの天は神の栄光をあらわし、大空はみ手のわざをしめす。」とあります。また新約聖書、エペソ人への手紙二章十節には「わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。」とあります。このようにすべてのものは神様によって造られたのです。そしてその中の最高傑作は、「人間」です。
 私たちは両親を通して生まれてきましたが、本当の造り主は神様だというのが聖書の教えるところです。
 自然界の雄大さと精密さには驚かざるを得ません。その神様があなたの造り主であることを知ることはもっと大きな発見ではないでしょうか。 (伊藤)