館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2004年5月

「黄金律を生きる」 マタイによる福音書7:12 伊藤 牧師 

2004年5月2日
  今日の礼拝に続いて、臨時教会総会が開かれます。
大切な財政面において、2003年2月16日に承認された予算に基づく、その収支報告及び館林キリスト教会臨時費「会堂新築関係費」決算報告があります。
さて、今朝は有名な山上の説教の中から、「だから、何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ。」と言われた黄金律(ゴールデン・ルール)のお話をいたします。
この聖書の言葉は、救われた者の人生とその生き方、在り方を教えています。だから「人生と人の生き方の黄金律」と呼ばれたリします。
自分が何をしてほしいか考えることは簡単です。要求は限りなくあります。しかし問題はその次です。今度は「人々にもそのとおりにせよ」というのです。自分が不当に扱われると抗議しますが、立場が逆なら平気です。
今朝は、そうした私たちが、どのようにすれば黄金律に沿う生き方が出来るのかキリストの教えを学びたい。(伊藤)

「野の花を見よ」 マタイによる福音書6:25〜30 伊藤 牧師 

2004年5月9日
  イエス様が、マタイによる福音書6章25節から34節の中で、7回も「思いわずらい」について述べているのは、私たちが毎日の生活の中で、思いわずらうことが多いからでしょう。
 ここでイエス様が「野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。」と、野の花を指し示されたのは、野の花を見て神様がどんなにこの花を装っているかを知り、それ以上に私たちのことを愛し、心配していてくださることを教えようとされているのです。
 またイエス様は、野の花があすは炉に投げ入れられてしまうようなはかない存在であるのに、美しくしかも精密に造られているのをよく観察するように勧めているのです。
 それは目に見ることの出来ない神様が、目に見ることの出来る空の鳥や野の花を通して、それらをどのように養い、育てているかを見て、それ以上に私たちのことを愛し、心配されていることを教えようとされているからです。
 今朝は、「野の花」を通し、私たちに対する神の愛を学びましょう。(伊藤)

「アンテオケ教会に学ぶ」 使徒行伝11:19〜26 伊藤 牧師 

2004年5月16日
  新約聖書、使徒行伝の中で、今でも「健康で健全な成長を遂げている教会」の姿を学ぶ事が出来ます。
 初代教会時代の教会の誕生の次第を見ますと、そこには2つのタイプが見られます。その一つは、信徒の人が伝道することによって、そこに教会の群れができ、それから後で指導者が遣わされ、その信徒たちを教育、訓練するというタイプです。もう一つはパウロの伝道によって生まれていく教会です。このパウロの場合は、最初の頃は、大抵、その地にあるユダヤ教の会堂にはいって教えるというやり方をしています。
 しかも興味深いことは、信徒の人が先頭に立って伝道した場合でも、専門の教役者が後で遣わされ、そこにできた群れの教育、訓練をしているのです。パウロのような専門の教役者が先頭に立って伝道した時にも、多くの信徒がこれに協力しているという事がわかります。いずれにせよ、全ての人の協力で伝道が進められているのがわかります。
 そこで今朝は、アンテオケ教会からその模範を学びたいと思います。(伊藤)

「メピボセテへの慈愛」 サムエル記下7:1〜3 伊藤 牧師 

2004年5月23日
 今、ダビデ王は神様のお約束のとおり広範囲を治めるようになりました。長い間イスラエルを悩ませて敵対関係にあったペリシテについても同様でした。
 ダビデの今までの歩みは、めまぐるしく複雑でした。長い間の亡命生活、その間も外敵から民を守るための戦い、ペリシテとの戦いで戦死したサウル王とヨナタンたち。
 その後ダビデは、イスラエルの王位につき、エルサレムを都に定め、「神の箱」を都に運び入れました。
内的にも対外的にも安定した今、これまでの日々が思い返されました。そのときダビデは一つの事柄が心にかかりました。サウル、ヨナタンの家族はどうしているだろうか、と。ダビデはヨナタンとの友情のゆえにこれらの人々に手厚い対応をしたいと考えました。
 サウルの家の人々について調べさせると、ヨナタンの息子、メピボセテがいました。ダビデの慈愛に満ちた心遣いに、メピボセテは、驚き戸惑いそして深く感謝したことでしょう。  (市川)

「天国と地獄」 使徒行伝11:19〜26 久保田邦光 

2004年5月30日
 今朝は、教会役員の久保田邦光兄が礼拝説教のご奉仕にあたってくださいます。
 以下の文章は、久保田邦光兄がまとめた導入の部分です。
 毎日、新聞の「お悔やみ欄」を見ると、数名の方の名前が出ています。このうちキリスト教式で行なわれる葬儀は幾つあるだろう、ラザロのように神様の懐に入った人は何人いるだろうかと考えると同時に、可能な限り福音を伝えなければと反省と悔い改めの日々です。
 きょう選びましたルカによる福音書十六章十九節から三一節までの記事は、キリストが話されたとても解り易い大切なお話です。
 そしてこの箇所から、次の三つのことを知ることが出来ると思います。
 第一は、人間は誰でも死ぬということです。
 第二は、すべての人が、天国と地獄の存在を知るということです。
 第三は、誰でも地獄に行きたくない、天国に行きたいと思うことです。
 今朝は、この真理を学びましょう。