館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2003年4月

「いなくなった羊」 ルカによる福音書15:1〜7 伊藤 牧師 

2003年4月13日
  イエス・キリストのご生涯は、わずか三十三年でした。ことに最後の三年あまりは、そのご生涯の顕著な出来事がたくさんありました。
 大勢の病人をいやし、悩み悲しんでいる人たちを慰め励ましたのです。しかし、それに対する人々からの報いは、恥とのろいの恐るべき十字架でした。
 デンマークのある有名な説教家が「イエス様が最も偉大で、最もすばらしかったのはいつですか」と質問した時、そこにいた少年が「その敵のために祈られた時です」と答えたそうです。
 イエス様が敵のために祈られた有名な祈りは、人々が神の御子イエス様を十字架につけた時の祈りでした。その祈りは、神様に敵対する人々を赦す愛の光を示す祈りでした。
 人類の歴史で最も暗かった時に、イエス様の最大の愛が、「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」の祈りに表れたのです。
 この祈りは、十字架の上で叫ばれた七つのお言葉の最初の言葉です。(伊藤)

「わたしはよみがえりである」 ヨハネによる福音書11:24〜26 伊藤 牧師

2003年4月20日
 今日は、教会暦で「イースター」です。イエス・キリストが死からよみがえられたことを記念する日です。
 ヨハネによる福音書十一章二十五節には、「わたしはよみがえりであり、命である」というみことばが記されてあります。この言葉は何回か学びましたように、イエス様がご自分こそメシヤであることを強調するために用いられた「エゴー・エイミ」が使われています。
 復活を意味するこのみことばは、全人類の希望の源であり、聖書の中においてさん然と輝く光だと思います。人々は、復活と終末は将来のものであり、死んだ後のことであり、いつかわからない漠然とした信仰でしか捕らえられないものと思っていました。
 しかし今やイエス様の出現によって、復活の真の姿がはっきり映し出されたのです。イエス様自身が、命であり、死を征服し、死に対して勝利をされたお方なのです。
 今朝は、イエス様自身が「わたしはよみがえりであり、命である」とおっしゃったみことばを学びましょう。(伊藤)

「救いの達成」 ピリピ人への手紙2:12 市川副牧師 

2003年4月27日
 二章初めには、キリストを謙遜の模範にしなさい、という勧めが記され、続いて、十二節のお言葉が記されています。
「あなたがたがいつも従順であったように」とは、パウロが知っているピリピ教会の人々の姿でしょう。パウロが一緒にいたとき、ピリピ教会の人々はパウロの祈りと信仰の姿に、教えられ、励まされてきました。ですから彼らはパウロが一緒にいたとき、神様に従いやすかったでしょう。
しかし、今、パウロは彼らのそばにいたいと思っても、遠く離れています。パウロは、「いない今はいっそう従順でいてほしい」と、信仰の従順を期待していました。実は、この信仰の従順が、ひとりひとりの救いの達成と深いかかわりがあるのです。「救い」とはキリストを信じて救われたことと共に、やがてキリストに再びお会いする時、救いが完成する時を指します。パウロは、彼らに、キリストにお会いする、そのときまで信仰の従順をもって歩み続け、救いを達成してほしいと願っています。 (市川)