スポンサー夫人
「スポンサー」という言葉は、民間放送の広告主のことであり、英語で「名付け親」という意味から転じて「善意をもつもの」という意味になったそうです。この言葉は1935年頃、アメリカの放送局にミセス・スポンサーと名乗る、ある金持ちの夫人が、声楽家たちの合唱団を組織しました。そしてこの夫人が全ての費用を負担し、毎週この合唱団をの賛美歌を全米に放映した結果、大好評をはくしました。スポンサー夫人の名は全米に知れわたり、ここから「番組提供者」を「スポンサー」と呼ぶようになったということです。
このスポンサー夫人は、賛美歌を通して、神様が人類に提供しようとしているものを知って欲しいという願いを持っていたのかもしれません。
新約聖書マタイによる福音書16章26節には「たとい全世界を自分のものにしても、永遠の命を失ってしまったら、何の得になるでしょう。いったい、永遠の命ほど価値のあるものがあるでしょうか」(リビングバイブル)と書いてあります。ここにある永遠の命とは神と交わることの出来る命、いつまでも滅びることのないあなたの本当に命、即ち一人一人のうちにある魂について言っているのです。誰でも一度は死にます。しかし、それで人生は終りではありません。この地上での人生の選択によって、その後の行き先は違うのだと聖書は教えているのです。
イエス・キリストは「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子(イエス・キリスト)を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」と言っています。神は愛です。ですから神のひとり子イエス・キリストをあなたや全ての人のために下さったのです。そして、イエス・キリストは十字架の上で私たちの罪の身代わりとしてその罰を受けて下さったのです。ですから、誰でもイエス・キリストを信じるだけで、永遠の命を得ることが出来るのです。イエス・キリストこそ、永遠の命を与えることの出来るただ一人のスポンサーなのです。あなたも聖書を手に取ってこのイエス・キリストについて学び、また信じて永遠の命を得てくださるように心からお勧めいたします。 (伊藤英雄牧師)
お母さんと自動車
「私たちは神の作品です」と言うテーマでお話していますが、職人が何か作る時に、作ってしまってから、さて「こんなものができたが、何に使おうか」と、使い道を考えたりするでしょうか。そんなことはありません。作り始める前に、使い道が先に決まっていて、それに合わせて、品物を作るのです。そこで私たちも、神の作品である以上、造られた目的、使命というようなものが、あらかじめ、予定されているに違いありません。
「神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。」とエペソ人への手紙2章10節に書いてあるのは、そういう意味なのです。すなわち「人は使命とともに生れる」と言われ、「神のわからない人には、自分の使命もわからない」と言われるとおりです。誰からもあてにされず、用もない人ほど淋しいものはありません。いたたまれない気持ちです。自分の人生の意味、目的、使命がはっきりしないために、いたたまれない気持ちでいる人は大勢います。おそらくこれは自殺者の気持ちでもあるでしょう。若者が非行に走るのも、この世に自分の場所がないような淋しさが原因のことが多いと思います。
その反面、使命感、役割意識がはっきりしている場合には、人間はとても強くなり、勇気も出る、がんばりもきく、がまん強くもなるのです。
事故で自動車の下になった子供を助けるために、一人で自動車を持ち上げたお母さんもいます。子供が病気のとき、お母さんが頑張る様子は、普段とは全く別人のように見えるほど強いものです。自分の人生の目的、使命のために、心を静めて神に祈ろうではありませんか。ある場合は時間をかけ、祈りつつ、神と共にこの問題を研究することも必要です。 (小林誠一前牧師)
平和の砦
2003年3月19日、アメリカ合衆国がイラクに侵攻したことによって始まったイラク戦争は泥沼化しつつあります。戦争、侵略がどんなに恐ろしいものであるかを知らされています。ある人は、過去4千年の間、平和な時代は通算して3百年もなかったと指摘する人がいます。人間は心から平和を望み、多くの平和条約を結びながら、何回それを破ってきたことでしょうか。
ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心から起こる、ゆえに平和の砦は人の心の上に築かれなければならない」とあります。キリストは「平和をつくるものは幸いです。その人は神の子とよばれるであろう。」といっています。世界平和を願うと共に、平凡な日常生活において、他の人々と平和にすごす人は幸いな人と言えるでしょう。平和をつくるものをピ−スメ−カ−と言うのに対し、いつも問題とトラブルを起こす人のことをトラブルメ−カ−といいます。トラブルの多い生活に、充実した気持ちや幸福はないでしょう。ですから、人は心の中に平和の砦を築かなければならないのです。
真珠はあこや貝が、そのなかに入った異質のものを吐き出すことをせず、貝の内部から出す炭酸カルシュ−ムの分泌物で包むときに、あのような美しい玉となるといいます。これと同じように私達が、他人の憎しみやあやまちをキリストからいただく愛をもって包んでいく時に、キリストにある平和が生まれるのです。
神を信じた一人の人は、「わたしは、以前は朝目を覚ますと家内とけんかし、夜寝る前にはいさかいをしていましたが、クリスチャンになって私達が神との平和を見出して以来、私達の家庭は天国のようになりました。」といいました。キリストこそ、私達の心に平和の砦を築いてくださる方なのです。あなたもイエスキリストを心に迎え、心に平和の砦を築き上げてください。 (伊藤英雄牧師)
体の弱いハーデイー
世の中には、なんとなく自分が気に入らない。人のことばかり良く見えて、いつも淋しい、という人がいます。しかし前回お話したように、神を信じて、その結果、自分も聖書に書いてあるとおり「神の作品」なのだということがわかってくると、自分に対しても自分の人生に対しても、新しい目が開かれてくるのを感じます。大勢の人間がいても、その顔や姿、性格や才能は、一人一人不思議なほど違っていて、人間はよほど念入りな神の作品だと思うのですが、世界広しと言えども、わたしはわたし一人しかいず、あなたはあなた一人しかいません。尊い存在です。私たちは他の人と比べてあせったり、イライラしたりするのをやめて、神を見つめ、自分を見つめて、自由と確信の生活に進むことが幸福です。
昔アメリカに、アルフェアス・ハーデイーという人がいました。熱心なクリスチャンだったので、青年時代に牧師になろうとしましたが、体があまり丈夫ではないので、みんなからムリだろうと言われて思いとどまりました。そしてクリスチャン生活を守りながら、実業に従ったのですが、神様の祝福によってこの人は、実業家として、成功しました。あるとき、一人の日本人の青年が頼ってきたとき、これも神様に対する役目の一つだと思って、この青年の世話をし、この青年を指導しました。この青年もまた立派なクリスチャンとなり、立派な成績で大学を卒業し、日本に帰りますと、今度は自分が京都に大学を建てて聖書の教えに従って、日本の青年を教育し、若い明治の日本に大きな功績を残しました。この青年こそ、あの有名な、新島襄先生なのです。ハーデイー氏が希望の道に進めなくても、がっかりしないで、神の作品として自分の生涯を全うし、神と人のために役立つ生活ができたのも、神を信じる信仰を持っていたからでしょうね。 (小林誠一前牧師)
天国へのパスポート
海外旅行も気軽に行ける時代になりました。電話をお聞きくださっている方の中にも海外へ行った経験をお持ちの方が多いと思います。
ある新聞にこんな政府広報の案内が出ていました。「パスポ−ト紛失に注意を−−−−旅券をなくしてしまう方が増えています、、、、、」
ところで海外に出かけるにはパスポ−トは不可欠です。 大分手続きも簡素化されてきましたが、原則として、海外旅行には、旅券、検疫証明書、査証(ビザ)の申請と三つの手続きが必要になります。全ての人に海外旅行の経験をしてほしいと願いません。しかし天国にはすべての人が入ってほしいと願います。神様は聖書の中で次のように言っておられます。「神はすべての人が救われて真理を悟るに至ることを望んでおられる」と。そして天国のパスポ−トを得るにも手続きが必要です。それは自分が神様を無視してきた罪を素直に神様にお詫びして、イエス・キリストが用意してくださった救いを信じることです。
イエス・キリストは「わたしは道であり、真理であり、命である。だれも私によらないでは天国にはいけない」といいました。即ち、イエス・キリストによればだれでも天国に入れるのです。
お世話になったあるクリスチャンの方が重い病気になりました。時々襲ってくる激痛と戦いながらも、日々、神様に感謝していました。この方は天国のパスポ−トをしっかり握って今病床でも希望のある生活を送っていたのです。
パスポ−トは誰からも借りることはできません。まただれにも貸すことができません。そして本人以外にだれもこの手続きは取れません。同様に天国へ入る手続きも、自分で申請することが必要です。何よりも大切なことです。あなたはすでに天国へのパスポ−トの手続きはお済みですか。 (伊藤英雄牧師)