希望のダイヤル
更新日:
 伊藤英雄牧師
2008年4月29日
アドバルーン
 小林誠一前牧師
2008年4月22日
エンゼルマーク
 伊藤英雄牧師
2008年4月15日
天国への道
 小林誠一前牧師
2008年4月6日

感謝する心
 ユダヤ教の教師でトケイヤーと人がいます。彼は「日本病について」という本を書き、その中で日本病の1つに「感謝欠乏症」をあげています。今日(こんにち)日本のこどもたちが家で食事をする時に「いただきます」や「御馳走さまでした」と感謝の心をもって食べるこどもが少ないと言います。感謝という大切な忘れ物をしているように思います。しかし、感謝する心が表せないのは今に始まったことでないのです。
 新約聖書ルカによる福音書17章にはこんな記事が記されています。イエスがエルサレムに行かれる時、サマリヤとガリラヤの間を通られた。そしてある村に入られると、十人の重い皮膚病の人に出会われたが、彼らは遠くの方で立ち止まり、声を張り上げて「イエス様、私達をあわれんで下さい」と言った。イエス様は彼らをごらんになって、「祭司たちのところへ行って、からだを見せなさい」と言われた。そして行く途中で彼らはきよめられた。そのうちのひとりは、自分がいやされたことを知り、大声で神をほめたたえながら帰ってきて、イエスの足元に平伏して感謝した。これはサマリヤ人であった。イエスは彼に向かって言われた、「きよめられたのは十人ではなかったか。ほかの9人は、どこにいるのか」神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか」という記事ですが、この時にも感謝した人は十人中たったの一人だったのです。
 また、アフリカの聖者と言われたシュバイツアー博士は少年時代を回顧して、「私は少年時代を振り返ってみるたびに、自分がどれほど多くの人達に対して、彼らが私に与えてくれたものや、私に及ぼした人間的感化を感謝しなければならないかということを切に思うのである。しかし同時に、自分が少年時代にそれらの人に対して、実際に感謝したことが少ないかを顧みて、後ろめたい気持ちになる。、、、、、わたしは内気なために、感謝の念を口に出すことを指し控えたこともある。私たちは誰でも、ためらうことなく、口に出さない感謝を口に出す感謝とするように努めなければならない」と言っています。
 聖書が「感謝の心を持つ人になりなさい」(新改訳コロサイ3:15)と勧めているように、シュバイツアーも感謝する心の大切さに気付かされたのです。あなたも聖書によって感謝の心を育て、豊かな人生を送って下さい。(伊藤英雄牧師) アドバルーン
 パウロという人は初代教会の大立者で、新約聖書の3分の2は彼の筆によって成ったと言われるし、とにかくキリスト教にとってはなくてはならぬ人です。
 そのパウロがクリスチャンになる前の言葉として、聖書の中で「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。」と言っています。時々人間は自分をみじめだと思うことがありますね。背が低くてみじめだ。運動神経が悪いので、スポーツがやれなくてみじめだ。こんなみじめな洋服は着ていけない。家がみじめで友達を呼べない。3年も浪人なんてみじめだ。いろいろあります。しかし、パウロの場合はこうなのです。「わたしの体の中には、善なるものが宿っていないことを、わたしは知っている。善をしようとする意志はあるが、それをする力がない。つまり、わたしの望んでいる善はしないで、望んでもいない悪はやってしまう。わたしは何とみじめな人間なのだろう」この深刻な告白は、新約聖書ローマ人への手紙7章にあります。そしてこれもまた一つの人間のみじめさです。
 テレビ、新聞で、毎日犯罪の話が洪水のようです。でも心底からの悪人というのは少ないので、実は何となく自信がなく人生に希望を失ってヤケになったか、悪い、いけないと思いながら、意志が弱くつい誘惑を断れなくて、ずるずると悪の道に引き込まれて、気がついてみたらとんでもないことになっていた。というケースが多いのではないでしょうか。本当にみじめな話です。
しかしパウロの告白はそれで終わっているわけではありません。キリストを信じて救われてからは「キリストにあるいのちの法則は、罪と死の法則から我々を解放した」と言っています。
 アドバルーンに満たされたガスの上昇の力が、地球の引力の法則に勝って、アドバルーンを上昇させるように、キリストを信ずる者は新しい力に満たされて、罪に勝つことができるのです。 (小林誠一前牧師)
エンゼルマーク
 天使をかたどったエンゼルマークと言えば、森永キャラメルを思いうかべる人は多いと思います。このエンゼルマークは創業者の森永太一郎が熱心なクリスチャンであったというしるしからだと言われています。
 太一郎はアメリカに渡って3年目のある時、ハリス牧師の導きにより、聖書を通して自分が神の前に罪人であり、自分の罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じなければならないということを教えられました。でも、彼は商売においても生き方においても曲がったことは全くしてこなかった自分が、いきなり罪人と言われ怒りが込み上げてきたそうです。しかし、さらに聖書を読んでいくうちに心の目が開かれました。そこで太一郎は、イエス・キリストが自分の醜い罪を全部背負って、十字架にかかって死んで下さったことがわかり、心からイエス・キリストを信じ受け入れて洗礼を受けたのです。
 太一郎は菓子製造業を万事お祈りをして始めました。その頃当り前であった上げ底をしない、粗悪な材料を用いない、買う人の立場になり、その人々を思って菓子を製造する、ということを立て前として商売を始めました。そのために人々の信用がついて大成功をおさめたのです。あるとき、チャイナマーブルという菓子を作りました。この菓子は仕上げまで2ケ月もかかるものでした。あまり売れ行きが良いので、製造が間に合わず、つい1簡単に出来るものにかえて売り出しました。そうしたら急に信用が落ちて、これを回復するのに5年もかかったばかりか、大損をしたということです。やはり商売成功の秘訣は、神様の前に真っ正直な仕事をすることだと彼は知らされたのです。そこで、そのトレードマークは、森永の頭文字「M」を天使が支えているというデザインにして、ただ神様の恵みによって支えられていることを表したということです。
 晩年彼は、「我は罪人のかしらなり」という聖書のみことばをかかげ、全国の学校、市町村に講演して歩き、イエス・キリストの素晴らしさを語ったということです。あなたも森永太一郎が経験したイエス・キリストの救いを聖書を通して知って下さい。 (伊藤英雄牧師)
天国への道 
 キリストは私たち人間の罪のために、身代わりとなって十字架にかかってくださいましたが、その前の晩、お別れの意味もあって、弟子たちとお集まりになりました。何しろあしたは殺されるということは確実でしたから、誰の気持ちも、とても大変でした。
 その時キリストは「わたしは殺されても、死を越えて神様、天の父のところへゆくのだ。あなた方も、私の弟子として3年も教えをうけたのだから、私の行こうとする天国のことがわかっているでしょう。そしてやがてあなたがたもそこに来るのですが、その道もわかっているはずです。だからどんなことがあっても、動揺してはいけません」とおっしゃいました。
 その時、とても正直なトマスという弟子が「先生、本当のことをいうと、その大切なことが、わかっているようでわかりません。ですから私たちの心は、今つぶれ相に恐ろしいのです。」と言いました。
 その時、キリストのおっしゃったお言葉は有名です。
 「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」
 エスカレーターは一つの道です。ただ階段と違うところは、しっかりそれに乗っていれば、歩かなくても、二階に行けます。私たちは罪深い人間ですから、天国に行く資格がありません。しかし、私たちのために十字架にかかり、全ての罪を許してくださる救い主キリストにたよるならば、だれでも天国に行けるのです。
 お母さんと一緒に旅行する時、中学生の兄さんは目的地に行ける、赤ちゃんは歩けないし、何にもわからないから、目的地にゆけないということがあるでしょうか。そんなことはありません。この場合、お母さんが「生きた道」なのですから。だからキリストを信じる者は、明日死ぬとしても動揺しません。 (小林誠一前牧師)
     
 
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