館林キリスト教会

トピック集

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子どもイエス

トピック集(7) 随筆 (古い説教ノートから)

最初のクリスマス

   ルカによる福音書の2章に、キリストの降誕、つまり最初のクリスマスの話が記されている。
 いったい教祖の誕生物語などは、事実は良く分からず、あいまいな伝説に包まれているものだが、キリストの誕生はこの章で、はっきり歴史の時代に位置づけられている。
 当時のローマ皇帝は有名なアウグストウスだ。彼の本名は、ガイウス・ユリウス・カイザル・オクテヴィアヌス・アウグストウスという長いものだ。またこの章には、その頃のシリヤ総督の名前も出ている。すなわち、ボブリオ・スルピキュース・クリニュウスで、彼も無名の人物でなく、ローマの官職表にちゃんと出ている、歴史的人物だ。
 また当時のユダヤ王は,悪名高いヘロデ大王だった。ユダヤはローマのシリヤ地区に編入され、シリヤ総督の支配下にあったのだ。
 これほどの大物が支配する世界にキリストは生まれたのだが、その誕生の知らせが、まず貧しい労働者の羊飼いたちにもたらされたのも不思議だった。

東方の博士の来訪

 幼児のキリストは最初に貧しい労働者、羊飼いの礼拝をお受けになった。
 しかし信仰は貧民の独占物ではない。いま彼はマタイ福音書二章に記されている、いわゆる「東の博士たち」、すなわち当時最高の知識を誇る学者であると共に、人民の指導者、王侯の顧問でもあった東方ペルシアのマギたちの一群を、その質素なみもとにお召しになったのである。
 彼等はなぜ救い主キリストの降誕を知ったか。なぜ彼等は安逸と富貴の生活を置いて、わざわざ困難で危険な、数ヶ月の砂漠の旅行に出発したのか。
  「万人は自分の幸福を求める、しかし指導者は万人の幸福を求める」と言われるが、しかし幸福は求めても得難かった。
 たまたま彼等は自分たちにも読める、セプチュアジュント、すなわちギリシヤ語訳旧約聖書を手にしたのだ。そこには本当の救いと幸福を与える救い主の預言がしるされていた。
 彼等は真剣な研究と、信仰と、決意をもって、はるばるユダヤまで、救い主を求めてやってきたのであった。

幼児虐殺

 敬虔な近隣の羊飼いたち、遠方の博士たち、その他幼子イエスを礼拝した人たちは多かったろう。しかし、救い主キリストの誕生のニュースは、ユダヤの責任者、指導者のヘロデ大王を困惑させた。エルサレムの官邸も困惑した。なぜだろう。今朝はそれを考えてみたい。
 一方、ヘロデ大王に、キリストの誕生地を質問されたユダヤの聖書学者たちは、それがベツレヘムであることを答えることができた。しかるに彼らは、はるばる礼拝のためにやって来た東方の博士たちとは違い、これに興味を示さず、礼拝に行こうともしなかった。なぜだろう。これも考えたい。
 もっとも気の毒なのは、その頃ベツレヘムに生まれた赤ちゃんたちだ。町の大きさから見て、二十人前後の赤ちゃんが、ヘロデ大王の無慈悲な命令によって殺害されたことだ。大勢のその子の母親たちも殺されたろう。これはいったい何だろう。それも考えよう。
 ただ一つのことは言える。すなわち彼らはキリストの身代わりになったのだ。

キリストの少年時代

 偉人の少年時代には非常に興味がある。
 だから家系の詮議からからはじまって、両親は?、生まれつきの素質は?、育て方は?、学歴は?、などいろいろ調べようとするのだ。
 キリストの場合は聖書に、その少年時代について、どんなことが書いてあるのだろう。しかし不思議なことに、ほとんど記事がないと言っても良いのだ。ということは、恐らく普通の子供として、特に目立つこともなく成長したということだろう。
 しかし当時のユダヤ人の少年が、家庭で、学校で、クネセットと言われた一種の教会で、どんな教育を受けて育てられたか、ということは調べれば分かる。
 その教育のすべては、聖書にもとづいて行なわれたのである。聖書を読むための、ユダヤの子供の義務教育の重視と普及は、世界一だったといわれる。
 おそらくキリストは、それらの普通の、家庭や学校の教育を、もっともすなおに真剣に学習し、心と生活に実行しながら育ったと言うことだろう。今朝はこのことをお話しする。