館林キリスト教会

トピック集

ステップテキスト

子どもイエス

教会について (ステップテキスト9)

「よく言っておく。もしあなたがたのうちのふたりが、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、天にいますわたしの父はそれをかなえて下さるであろう。ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである」

新約聖書、マタイによる福音書、18章19,20節

1 無人島

ある船が嵐にあって難船しました。乗組員たちはいろいろな物につかまって海の上を漂っているうちに、一つの島に流れつきました。お互いに助け合いながらとにかく上陸しました。見たことのないところです。
こんな島にもし人がいたら、食人種かもしれないと、皆ビクビクしていました。勇気のある一人の水夫が、さきに丘に登って、丘の頂上から島の様子を見ました。そして、後から来る者たちに言いました。「オ−イだいじょうぶだ。この島には食人種はいないぞ。教会があるぞ」こう言ったそうです。
教会があって、そこで聖書の教えが伝えられていれば、教会の影響によって、もう食人種のようなものはいなくなる。これは世界の歴史の中で証明された事実です。

2 賛美歌と聖書のお話

今日はその教会についてお話します。「いま私は教会に行っている」と友達に言うと「教会で何をするのですか」と聞かれるでしょう。町に教会があるのは知っていても「教会はどんなことをしているのだろう」ということは知らない人が多いと思います。
教会にはいろいろなことがありますが、集会が始まる前に、まず賛美歌を歌います。これは神様を賛美する歌です。またその歴史は古く、実は西洋音楽の源泉ともいうべきものです。
世の中にはずいぶんいろいろな歌がありますが、悲しい、寂しい、諦めたような歌が多い。しかし賛美歌はそれと違って、私達の信仰と感謝と、また、私達の聖い正しい生活に対する願望が表現されている、つまり祈りの歌です。
一同で賛美歌を歌う間に、集会の心備えもできるわけです。
それから、聖書のお話があります。聖書は何といっても、だいぶ昔に書かれた本です。もともと宗教の書物で、しかも遠い外国の本ですから、小説を読むように、誰にもすぐ分かるわけにはいきません。そこで、教会には聖書専門の牧師がいて、分かりやすく聖書の説明、講解をし、また聖書にもとづいた説教をします。

3 生活の研究

牧師を通して聖書のお話を聞いている間に、聖書の中から神様のみ心が示されます。神様の語りかけを聞きます。ですから、教会に行くことによって、私達は自分の生活や人生を、自分中心の、または自分の主観でなく、神様の光、聖書の光によって見直し、研究、検討する機会を持つことができます。
ちょうど、絵かきさんがハシゴにのって一生懸命に大きな絵を書いている時、しばしばハシゴを降りて、遠くから、自分の絵の総体のバランスを見ます。われわれの生活にもこれが大切です。
私達は、朝起きて大急ぎでごはんを食べて会社に行く。目が回るほど忙しく仕事をする。疲れはてて家へ帰る。家に帰れば、お風呂に入り、食事をし、休みますけれども、明日はまた目まぐるしい生活を迎えます。
奥さんもまた忙しい。子供も忙しい。無我夢中で生活している。しかし一体これで良いのだろうかと、時々は生活の価値とか、人生の意味とかいうものを落ち着いて考えてみたくなる。また、生活の中には、再検討を要する部分、改めなければならないところはないか。もっと賢明な生き方はないか。つまり生活と人生の研究。それが大切です。
私達は教会に来て、聖書という鏡に自分の生活をうつして見て、そこでそういうことを研究します。勉強も、修正もする。向上もはかるのです。日本人は、何事も研究熱心ですが、自分の生活そのものの勉強、人生そのものの研究をする場所も、機会も少ないようです。教会は神様と一緒にそういう問題に取り組む場所でもあり、機会でもあるのです。

4 祈りの家

また教会は、お祈りをする場所です。教会では、公の集会でも、クリスチャン同志の個人的な交わりでも、いつもお祈りをします。聖書の中に「教会は祈りの家である」と書いてあるように、教会は、神様との交わりということがとても大切にされています。ふだんお祈りになれない人でも、教会に来てみなさんと心をあわせて祈る間に、次第に祈りがわかってきます。
教会にはまた、クリスチャン同志の交わりがあります。
私などは少年時代から教会に来て、一生、教会の生活、牧師の生活をしていますが「教会生活で一番魅力的なのは何ですか」と聞かれると、いろいろある中でも、クリスチャン同志の仲の良い交わりは、大きな魅力の一つであると思います。教会は神様を中心にして、富める者も貧しい者も、社長も従業員も、お嫁さんもお姑さんも、胸襟を開き、安心して、あらゆることを自由に話し合うことのできる所です。
聖書のあるところには、クリスチャンの会話は「会話の形をとった祈りである」と書いてあります。
会話の中で、私達の抱えている問題や、さまざまな願望や理想、そういうことが自然に話し合われます。それを神様が天で聞いていらっしゃる。会話の形で聞こえてくるこの人間の心の声を、神様は祈りとして聞き、記憶し、その祈りにも答えてくださる。そういう表現さえ聖書の中にあります。
皆さん、ひとつお気軽に教会にいらっしゃってください。祈りましょう。ご一緒に賛美歌を歌いましょう。聖書を学ぼう。そこであなたは必ず最高の友達に巡り会い、必ず最高のグル−プの仲間入りをすることになると思います。