館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(16) 「希望のダイヤル原稿」から

 羊の記念像 2000年9月3日

 ノルウエーのある教会の高い屋根の上に、石で造った大きな羊が飾ってあります。「どうしてあんな所に羊が飾ってあるのですか」と初めて来た人はたいてい質問します。 その由来はこうです。
 昔、この教会を建てていた時、高い屋根の上で仕事をしていた大工さんが、足を滑らせて地上に落ちました。ちょうどその時、教会のそばをひとかたまりの羊の群が通っていました。大工さんはその羊の群の中に落ちました。皆が駆けつけたとき大工さんは気絶して動かないので誰もがもう死んでしまったと思いました。しかしまもなく大工さんは動き出しました。不思議に助かったのです。
 あんな高いところから真っ逆様に落ちたのに一体どうして死なずに済んだのでしょう。
 その理由はまもなくわかりました。大工さんの下からつぶれて血まみれになったかわいそうな一匹の羊が見つかったからです。ああ、この羊は大工さんの身代わりに死んだのです。この羊が身代わりになって死んだおかげで大工さんの命は救われたのでした。
 その時、人々は聖書の言葉を思い出しました。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」この小羊は、救い主イエス・キリストを示しているのです。全部の人間は自分の犯した罪のために、神様の裁きを受けて滅びるはずでした。しかしイエス・キリストが、身代わりになって十字架にかかってくださったので、すべての人は救われるのです。
 あの教会の屋根に飾られた羊は、大工さんの身代わりになった羊と、全人類の身代わりになったキリストを記念するものでした。

 泥だらけの洋服 2000年9月10日

 赤ちゃんがもう離乳期が来ているのに、いつまでもぐずぐずお乳を飲ませていると、いわゆる離乳不全で、一生意志が弱くはっきりしない人間になってしまう相です。 また、お母さんがお乳を飲ませながら、いつもイライラ、プリプリ、クヨクヨ、メソメソしていると、子供は大人になってから、そういう、いわゆる情緒不安な人になることが多いといいます。お母さんの責任も重いと言うべきです。 一人のお父さんがいましたが、ある晩、会社の帰りに酔っぱらって大分脱線しました。夜遅くやっと家に帰ると汚れた泥だらけの洋服を脱ぎ捨てると、そのまま寝込んでしまいました。 翌朝「お父さん、お父さん」と子供に揺り起こされました。眠い目をこすりながら見ると、脱ぎ捨ててあったお父さんの洋服を、子供が着込んで喜んでいるのです。 「お父さん、見てよ。僕、お父さんとそっくり同じになったよ」 お父さんは、汚れた洋服を着てニコニコしている子供を見ると、たまらなくなりました。 「そうだ。子供はいつもこんな風に、俺を見ならっているのだ。こんな調子で俺そっくりの人間なんかになられたら、たまったものじゃない。俺は今は子供たちの親だから、子供たちの良い模範にならなくてはならん。うかうかしちゃいられないぞ」 本当にそうですね。
聖書の言葉
「父たる者よ。子供をおこらせないで、主の薫陶と訓戒とによって、彼らを育てなさい。」   エペソ人への手紙6章4節

 聖書のお話 2000年10月1日

 皆さんが教会にいらっしゃると、大抵の集会で、聖書のお話を聞きます。
 聖書は、神様について、救いについて、私たちの人生について、また死後の問題などについて教えている、大切なものですが、何しろ昔の、しかも外国の本で、しかも宗教上の書物ですから、難しい一面があって、教会でお話を聞くことによって、もっとよくわかって来ることは事実です。
 ですからこれは自然に、人生そのものの学習研究となります。
また、心を静めて神様のみ言である聖書のお話に耳を傾けている時、神様は聖書の中から、私たちに語りかけて下さるのです。
 ある時は、そこに、私たちは神様の愛を感じ、なぐさめを受けます。またある時は、自分の陥ろうとしている危険な間違いについて教えられて、生活の軌道修正をさせて頂くこともあります。
 教会では個人個人で、あるいは一緒になってお祈りをしますが、お祈りは、神様が語りかけて下さったことに対する、私たちの応答です。また私たちの方から、いろいろお祈りすることもありますが、今度はその祈りに対して、神様は聖書の中から答えて下さいます。
 教会を通して、聖書を通して、祈りを通して、私たちは神様との親しい交わりの生活に導かれます。そして、私たちの人生は、幸福な時も、苦しい時も、神様と一緒です。「神様と一緒の人生」それがとりもなおさず、信仰生活なのです。

 「さんびか」とは 2000年10月8日

 教会に来ると、集会で賛美歌を歌うことは皆さんご存知です。賛美歌はとても魅力的で、初めて教会にいらっしゃった人は、大抵「賛美歌が良い」と言います。「牧師のお話が良い」と言う人よりも多いようです。
 人間は楽しい時でも、悲しい時でも自然に歌を歌います。しかし日本人は一般に淋しい歌が好きで歌謡曲などには涙とか、雨とか、別れとか、そういう言が一番沢山出て来るそうです。
 しかし賛美歌は、神様を信ずる人の信仰と喜びの歌です。「トプレデイ」という有名な賛美歌があります。
 「とこよの岩よ、わが身をかこめ、さかれしわきの、血しおと水に、罪も汚れも、洗い清めよ」というのですが、この歌を作ったトプレデイという人は、イギリスの牧師さんでした。りっぱな牧師さんでしたが、体が弱くて、30代で亡くなりました。それだけに、いつもよくお祈りして、神様の保護と助けを求め、真剣な信仰生活で、よく大勢の人々を信仰に導いたのでしょう。
 ある日、彼が道を歩いていると急に大嵐になりました。そこで彼は大きな岩のかげにかくれて、雨や風を避けました。その時「そうだ、神様はこの岩のようなお方だ。聖書にもそう書いてある。私たちの人生にも、恐ろしい雨や風が多いが、一生懸命神様におたよりすれば、神様はこのしっかりした大岩のように、私たちを守り、また助けて、風雨に耐えさせて下さるのだ」と深く感じました。その気持ちをそのまま歌にしたのですが、このさんびかは長く、今でも大勢の人に愛され、歌われています。