館林キリスト教会

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小林前牧師 コラム集(5)

 たった一人の受洗者 1999年7月18日

 スコットランドのある教会で、1年間に一人しか受洗者が出なかった。
 この状態が役員会の話題になって、牧師の働きについて、批評やら苦情が出た。
 牧師は「一生懸命やった結果だからやむをえない」と、うなだれて言葉もなかった。
 ところが当の、たった一人の受洗者の耳にもこの話が伝わった。
 彼は牧師のところに来て、役員会の態度に憤慨した。そして「僕は神様のために、いまに何人分もの働きをしますから」と牧師を慰めた。
 ローバート・モファットという、アフリカ伝道で有名な宣教師になったのは、この青年だった。

 ブリキ屋の職人 1999年7月18日

 ある教会で、空き地に大きなテントを張って、大掛かりな伝道会を開催した。しかし救われたのは、18才のブリキ職人の少年ひとりだった。みな「このテント伝道は失敗だった」と言った。
 しかし、後にこの少年ジョン・テンプスターは有名な牧師、神学者となり、アメリカ、カナダ、南米に広く伝道し、多くの教会を建て、また20箇所の聖書学校を建てたのである。

 古い説教ノートから 1999年7月25日

 ボストンのギッドフオード博士は、教会の礼拝で「すべてのクリスチャンは伝道者であるべきだ。その心がけがあれば、人を信仰に導けるはずだ」と説教した。
 あとに一人のみすぼらしい婦人が残って、博士に話しかけた。
 「何事にも例外がありましょう。わたしは貧しい未亡人で、終日裁縫をして子供たちを飢えから守っているのです。人に伝道する時間も機会もありません」「あなたは出かけられなくても、家に来た人に伝道できるのではありませんか」と話し、祈って分かれた。
 なるほど、パン屋、牛乳屋は毎日来る。肉屋もたまには来る。
 未亡人は一生懸命お祈りして、翌日、牛乳屋に信仰のことを話してみた。牛乳屋は驚いて牛乳缶を取り落とした。
 彼は二、三日前、自分の生活が、不潔、低級、無意味であることを悲しんで、何か信仰を学んで、新しい生活を始めたいものだと考えていたのだと言った。
 彼等はともにひざまずいて祈ったが、この未亡人は、その後の一年間に7人もの人を信仰に導いたそうだ。

 祈りの答え 1999年8月1日

 日曜学校の子供たちに、お祈りに答えられた経験を聞いてみたことがある。
 一人が言う。「学校に持っていくお金を、お母さんから貰って出かけたが、途中で落してしまった。家に戻ると間に合わないので、見つかるように祈りながら行くと、校門の前でいじめっこたちが、登校してくる生徒をつかまえては何か言っている。
 いやだなーと思いつつそこを通ると「お前お金を落さなかったか」と言う。「落した」と答えたら「おれが拾った」と渡してくれた。
 もうひとり。「夜、宿題の算数を始めたら、どうしても分からない問題が一つあって困った。でもお祈りしていたら、似たような問題を解いたことがあったのを思い出して、古いノートを探してみると、見つかったから、それを応用して解く事ができた」
 あるお母さんの話。先生が明日、お気に入りの生徒たちを、自転車で小旅行に連れて行くというので、子供が大喜びで学校から帰ってきた。お母さんが「明日は都合が悪い」と言うと、淋しそうな顔になったが、少したつともう元気になり、鼻歌でお掃除などを始めた。
 お母さんが「どうしてすぐ機嫌が直ったの」と聞くと、「奥でお祈りしたの」という答えだった。
 お母さんは牧師の私に言った。「子供でも信仰を持つことは良いことですね」
 ある子供が自動車に撥ねられて、けがをして寝ています。
 私が行って、三つの祈りを教えてあげました。
1、 不注意だったことを神様に悔い改めよう。
2、 あまり痛くないように、けがが早くなおるようにして下さい。
3、 これからはお祈りし、注意して、事故にあわないように守ってください。
 この子のけがはすぐなおり、もう事故にはあいません。