館林キリスト教会

伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(12)

 ガラテヤ人への手紙 2010年6月20日、27日

 
 ガラテヤ人への手紙は、6章しかない短い手紙だが、使徒行伝に続く書簡の中では、かなめとも言うべき重要な手紙だといわれる。この手紙は、クリスチャンになった者が、もはや律法の下にはなく、信仰によってのみ救われる、ということを示している。パウロはこの手紙の5章1節で「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」と書いている。
 ルターは信仰よりも行いを重んじるかのようなヤコブの手紙を「藁の書簡」だと言ったのに対し、ガラテヤ人への手紙に対しては「わたしはこの手紙と結婚した」と言ったほど、重んじたといわれる。
 またこの手紙は、宗教改革に火をつけた手紙であるともいわれている。なぜならルターは、ガラテヤ人への講義を終えてすぐに、宗教改革の旗印を揚げたからだそうです。
 パウロは第二回伝道旅行の時、病気のためにガラテヤ地方に滞在したことがある(ガラテヤ4:13)。この時パウロは、病にもかかわらず、福音を聞いたことがない人々がいることを知った以上、イエス・キリストによる十字架の福音を宣べ伝えないではいられなかったらしい。その結果、ガラテヤ地方に教会が誕生したのである。
 彼らは素朴で素直な人たちで、単純に信仰によって救われることを信じていた。しかし、パウロの後に、律法の教師たちが来て、割礼と律法を守らなければ救われないと教えたのである。
 疑うことを知らない一方、移り気で新しもの好きだったガラテヤ地方の人々は、これらの偽教師たちの教えを受け入れる方向に向かってしまっていたのである。パウロがこれを聞いた時、事態が緊急を要することのように思われたので、彼のために口述筆記をする者がいなかったらしく、この手紙を「わたし自身いま筆をとって」書いたと述べている。(伊藤)

 エペソ人への手紙 2010年7月4日、11日

 
 エペソ人への手紙は、ピリピ人への手紙、コロサイ人への手紙、個人的な手紙であるピレモンへの手紙と共に、獄中書簡と呼ばれている。パウロがローマの獄中で書いて出したものだからである。
 この手紙は、現在のトルコに当る諸教会へ回覧のようにして回されて読まれたようである。エペソのある教会はこれらの教会の中で一番重要な教会であったと思われる。この手紙の主要なテーマは、いかなる国、またいかなる環境に育った者も、キリストにあって一つに集められるという神様の輝かしいご計画を示すことである。
 昔から、世界的なケズイックの集会の標語は「キリストにあってすべては一つ」である。また昨年は、日本のプロテスタント宣教150年で、各地で記念大会が行われた。横浜で開催された記念大会では「キリストにあってひとつ(主イエスの証し人として)」というスローガンが掲げられて、共通の福音宣教の使命のために一致していくことが確認された。
 エペソ人への手紙は、教会の偉大な奥義を私たちに示している。真の教会は、キリストのからだであり、クリスチャンたちはその神聖なからだの一部であり、そのかしらがキリストである、と教えている。
 教会というギリシャ語は「エクレシア」であり、それは呼び出された者の集まりを意味している。キリストは、ご自身の御名によって人々を呼び出される(使徒15章14節)からである。
 パウロは、この手紙でキリストにある一致を、いろいろにたとえ、「からだ、建物、夫と妻の関係」で表わしている。  最後にパウロは、クリスチャンたちに「悪魔の策略に対抗して立ちうるために、神の武具で身を固めなさい。」(6章11節)と励まして、この手紙を結んでいる。   (伊藤)

 ピリピ人への手紙 2010年8月1日、8日

 
 この手紙は、パウロが獄中から、ヨーロッパで最初に建設された教会にあてて書かれた手紙である。パウロは、幻と、「マケドニヤに渡ってきて、わたしたちを助けて下さい」(使徒16章9節)という叫びによって、そこに招かれた。
 パウロはこのピリピ教会に対して、クリスチャンとしての一致と喜びを懇願している。そしてこの手紙はクリスチャンの間の一致が、どのようにして破られるかを示している。
 パウロはこの手紙を書いた時、ローマの 兵隊によって鎖につながれていたが、喜んでいる。なぜなら、彼が鎖につながれていることで、福音が宣べ伝えられることに役立ったからである。また、あて先のピリピに行った時は、シラスと共に牢獄に入れられたが、真夜中に賛美して神をほめたたえた。すると神様のご介入によって地震が起こり、その結果、自害しかけた獄吏が救われ、ピリピ教会の一員となったのである。
 ピリピ人への手紙は、よく「喜びの手紙」とも言われたりする。「喜ぶ」という言葉が、たった4章しかないこの手紙の中に16回も出てくるからだ。
 パウロはこの手紙において、真の喜びとは何かを身を持って私たちに教えているように思う。「喜びなさい」というのが、パウロの勧めであり命令である。
この手紙には、明確な構成の意図はないが、パウロの手紙の中では、最も美しい手紙であるとも言われる。ここには叱責が見られない。
 また、パウロはこの短い手紙の中で、救い主の名前に40回も言及している。そして、キリスト及びクリスチャンについての最も素晴らしいことのいくつかが、この手紙に中に書いてある。私たちの生活がきよめられ、成長するためには、キリストが私たちの喜びであり、信頼であり、生涯の目標でなければならないと勧める。パウロは彼を試みる環境に対して、キリストに対する信頼のゆえに、喜びをもって打ち勝っていることを証している。(伊藤)


 コロサイ人の手紙 2010年8月15日、22日

 
 コロサイの教会は、レイマンのエパフラスによって建てられた、と言われている。コロサイの教会は異邦人のクリスチャンによって形成されていた。ピレモンはこの教会の会員であった。パウロはこの教会の人々と親しい関係を保ち、非常に愛されていた。
 このコロサイの教会には異端が入り込んで、若いクリスチャンたちを誤った方向に導き、天使を礼拝するように呼びかけ、ユダヤ教の儀式を厳格に守るように呼びかけていたのである。そこでエパフラスは、ローマの獄中にいるパウロのもとに行き、コロサイ教会に侵入していた異端について、パウロに告げたことによりこの手紙が書かれたのである。これらの誤った教えは、キリストを王座から引き降ろし、キリストが教会のかしらであることを否定した。これに答える助けとなるために、パウロはこの手紙を書いて、奴隷のオネシモをピレモンのもとに届ける都合があったテキコに持たせたのである。
 コロサイへの手紙は、エペソ人への手紙と同様、獄中書簡である。両者はいずれも福音の重要な教理を含んでいる。
 テキコが、逃亡奴隷のオネシモをピレモンのもとへ連れて行くことになっていたので、この機会にコロサイ人への手紙を持たせた。この時、エペソ人への手紙も書いてテキコに持たせているので、同じ頃に書かれた両者は、文体が非常によく似ている。しかしその強調点は異なっている。
 エペソ人への手紙はすべてのクリスチャンについて語り、彼らを「キリストのからだ」と呼んでいる。コロサイ人への手紙は、そのからだの「かしら」であるイエス・キリストについて語っている。エペソ人への手紙においては、「キリストの教会」が重要な題目であるが、コロサイ人への手紙においては、「教会のキリスト」が強調されている。もちろん、両者とも必要である。かしらのないからだはあり得ないし、からだのないかしらもあり得ないからである。  (伊藤)