館林キリスト教会

伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(8)

 ヨナ書 2008年9月7日、04月6日

 
 ヨナ書は全部で4 章しかない預言書ですが、聖書全体の中でもユニークな預言書である。ヨナはナザレから歩いて1 時間位の距離の所にあるガテヘペル出身で、アミッタイという人の息子(列王記下14 章25節)である。
 ヨナ書の内容は、敵国アッシリヤの首都ニネベに預言するように言われたヨナが、それを嫌って全く反対方向のタルシシ行きの船に乗った事から始まる。神様は大嵐を起こし、ヨナの行く手を阻む。そして海に投げ込まれたにヨナを大きな魚が飲み込み、ヨナは魚の腹の中で三日三晩を過ごしたという。そこでヨナは悔い改めたので、神の憐れみに預かり助けられる。その後は神に忠実に従い、ニネベの町で預言をした結果、ニネベの町は滅びず救われたというのである。イエス様もこの書を引用なさって、キリストの死と葬りと復活のひな型だということを教えている。マタイによる福音書12 章40 節に「すなわち、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、地の中にいるであろう。」とあるとおりである。(伊藤)

 ミカ書 2009年3月1日、8日

 
 ミカは、紀元前8世紀の預言者で、アモスやホセア(北王国の預言者)及びイザヤ(南ユダ王国、特にエルサレムで預言)と同時代の預言者である。彼はペリシテとの国境近く、ユダ南西部の田舎の出身であった。彼のメッセージは、南北両国の首都であるエルサレムとサマリヤに対してなされた。アモスの預言と比較して見る時、ユダがイスラエルを陥れた同じ罪に感染されていたことは明白である。そこでミカは、為政者、祭司、預言者を公然と非難し、貧しい人々を食い物にして金を集めている人、不正直な取引き、見せかけの宗教を嘆いている。神のさばきはエルサレムやサマリヤに下る。
 ミカ書は、イスラエルの支配者である救い主イエス様について、特別の情報を与えているので有名だ。彼はイエス様が誕生される町として、ベツレヘムの名前をあげる(5:2)。彼はまた、この大いなる支配者の性質のいくつか、力、威光、平和について示している。
 ミカ書は、イエス様が生まれる700年も前にその町を指摘した。神は、すべてに先立って計画される。それは私たちの人生にも計画を持っておられることを示しているということである。 (伊藤)

 ナホム書 2009年4月5日

 
 本書に続くハバクク書、ゼパニヤ書は、おのおの3章でそろっており、時代も近いようである。預言者ナホムという人物についてはよくわかっていない。南王国ユダで悪名高いマナセの治世に活躍したようである。しかし、内容は明らかにアッスリヤの首都ニネベの滅亡についてである。ニネベの陥落は紀元前612年ですから、その頃か、少し前に出たものと想像される。ニネベに教えを説きにいったというヨナ書の場合とは全く反対の、恐ろしい告知が記されている。
 エドム人への神の刑罰を語るオバデヤ書と同様に、ニネベへの審判が語られている。それはニネベの町に流血、略奪、淫行などが行われていたからである。神様は海も川も山もすべて支配するお方であって(1:4、5)、恵み深く、怒ることに遅いお方であるけれども、「罰すべき者を決してゆるされない者」(1:3)である。
 著者は、自分たちにとってとって神様は恵み深いことを確信しているが、罪を怒る神様のみこころが、今やニネベに向かって爆発せんとしているその点に集中して、これらを語ったと思われる。(伊藤)

 ハバクク書 2009年4月5日、19日

 
 ナホム書以下の3書の中で本書は最も遅く、600年頃のものかと想像されている。そうするとこのハバクク書は、エレミヤがエルサレムで預言していた頃である。
「ハバクク」という名前は、「抱きしめる」、ないしは「抱きしめる者」という意味がある。ハバククは、彼の国に何が起ころうとも、神を「抱きしめる」、あるいは、神にすがりつくことを選びとったというあらわれかもしれない。
 ハバクク書は「義人はその信仰によって生きる」という言葉によって多くの人に記憶されている。それは新約聖書の、ことにパウロの主張に関係が深いからである。
 ハバクク書2章4節の言葉は、新約聖書の3箇所に引用されている(ローマ1章17節、ガラテヤ3章11節、ヘブル10章38節)。宗教改革者ルターの信仰義認論はここから出発しているのはあまりにも有名だ。
 預言者ハバククは、ヨブや詩篇73篇の著者が取り上げている主題と同じ、すなわち、神の民が苦しんでいるのに邪悪な人々は安全であるという事実について論じている。現在ハバククは、特にひどい状況の中でこの問題に直面している。神様は、ご自分の民を罰するために、より邪悪な国民バビロニアを用いることを宣言された。そこで信仰の人ハバククは神様に尋ねたのである。13節には、ハバククの「あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、何ゆえ不真実な者に目をとめていられるのですか。悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、何ゆえ黙っていられるのですか」と、神様への問いかけが記されている。そして預言者ハバククがせつにその答を待っていると、神様は必ず時が来るのだから待つように語り、「……義人はその信仰によって生きる……」(2:3〜5)と答えられたのだという。エレミヤ、ダニエル等の義人たちがそのことを証している。(伊藤)