館林キリスト教会

伊藤牧師コラム集 66巻のラブレター(4)

 エズラ紀 2007年5月13、20日

 
  この書の初めで、ペルシャの王クロスは、自分の王国の捕虜であったユダヤ人たちがエルサレムに帰還するのを許す布告を出している。このクロスの最初の呼びかけで5万人をくだらないユダヤ人が、ゼルバベルのもとでエルサレムに帰還した。この時からイスラエル人はユダヤ人と呼ばれた。彼らの多くがユダ族の出であったためであり、ユダヤ人という名称もユダ族から出たといわれる。
以前、教団主催の夏期聖書学校で、井出定冶先生から「主の宮を復興せよ」と言うテーマでこのエズラ書を学んで、主の宮である教会を建て上げるのだと心が燃えたことを思い出す。帰還した彼らはすぐに神殿の土台を据えた。彼らが自分の家を建てる前に、祭壇を築いてまず神を礼拝したのは感激だ。
神殿を建て上げる中では、さまざまな妨害に出くわしたが、預言者ハガイ、ゼカリヤなどの激励もあり、4年の歳月を経て完成し、献堂式が行われた。
7章になってこの書の主人公のエズラが登場する。ユダヤ人たちが最初にエルサレムに帰還してから60年位の年月が過ぎている。エズラは、「イスラエルの神、主がお授けになったモーセの律法に精通した学者であった」(7章6節)。エズラはパレスチナの苦闘している人々を強めるために、バビロンから第二の帰還する1700人の人々を連れてきた。旅は4ヶ月かかり、費用はアルタシャスタ王が出した。
エズラは「心をこめて主の律法を調べ、これを行い、かつイスラエルのうちに定めとおきてとを教えた。」(7章10節)。この王は、その神の律法を解き明かすエズラの愛に感動していたようだ。私たちも、他の人たちが「神の律法=神のことば」に尊敬をいだくように生活したいものと願わせられた。
伝承によれば、エズラは捕囚時代に生まれた会堂(シナゴーグ)礼拝の生みの親だと言われている。 (伊藤)

 ネヘミヤ記 2007年6月17、24日

 
  エズラ記の主題は神殿の建築ですが、ネヘミヤ記の主題は城壁の建築です。
ネヘミヤは、ペルシャの王アルタシャスタ王の宮廷に仕える献酌官でした。ネヘミヤは、エルサレムの城壁が崩れたままであり、人々は悩みのうちにあることを聞いて悲しみ、お祈りしていました。そこで王にエルサレム帰還の許可を願い、承諾されました。このアルタシャスタ王の母は、実母ではないがユダヤ人のエステルで、ネヘミヤがエルサレムに行くことの許可は彼女の力によったのかもしれません。
ネヘミヤの指揮で、同胞が担当箇所をきめて城壁修理に着手すると、敵の迫害が激しくなりました。しかし、彼らは屈せず戦いながら工事を進め、ついに52日間という驚くべきスピードで完成したのです。今でいう突貫工事だったのでしょう。
民はみなエルサレム水門の前に集まり、律法学者エズラに、モーセの律法の所を持ち出すように求めました。エズラは民の律法の書を読み、解き明かしをしたのです。すると民に本当の悔い改めが生じ、大きなリバイバルが起こりました。ヨシュアが律法の書を発見した時、大宗教改革が始まりました。ルターが聖書を読むと、プロテスタント宗教改革が始まりました。私たちは、聖書を熱心に読む必要を強く感じます。
バビロン捕囚は、ユダヤ人の偶像礼拝という罪の問題を徹底的に解決しました。それまでユダヤ人は、あらゆる警告ににもかかわらず、民は周りの異邦人の偶像を拝んでいたのです。しかし捕囚の時以来、現在までの2500年間、ユダヤ人たちはこの罪を二度と犯していないのです。
最後の13章にはアルタシャスタの32年に、一度バビロンに戻っていたネヘミヤが、やがてまた来て宗教改革を行った事が記され、そこではレビ人、安息日、雑婚の問題が取り上げられています。(伊藤)

 エステル記 2007年7月8、15日

 
 エステル記は、ペルシャ王アハシュエロス(歴史に記されている名前はクセルクセス)の時代に、全ユダヤ人を絶滅しようとする陰謀がどのように未然に防げたかを示す書である。
エステルとは、本書の主人公の名で、エズラ、ネヘミヤと同じ時代の出来事としてここに書かれていることは、ルツ記の場合と同様である。
歴史の父ヘロドトスの著作によれば、エステル記1章の宴会は、ギリシャに対する戦争の計画の時であったのが分かる。アハシュエロス(クセルクセス)がその悲惨な敗北の後に慰めを求めていた時、エステルが、治世の7年に王妃ワシテに代ったのである。
世界史のこの有名な章の真ん中に、エステルの美しく魅力的な出来事が記されているのである。エステル記には神の名は記されていないが、あらゆるページは神で満ち、あらゆる言葉の背後にご自分を隠しておられるといってよいだろう。偉大な聖書注解者マシュー・ヘンリーは「神の名がここにないとしても、神の指はある」と述べている。
この書は、世界の帝王、アハシュエロスの宴会で始まり、おじの娘であるエステルを養い育てたユダヤ人モルデカイで終わっている。しばらくの間ハマンが王の次の位を占めているが、遂にモルデカイが代って王の次の位につく。この出来事を読んで行く時に、人間の歴史における混乱と神様の選びの民の最後的な勝利を見ることが出来る。エステルは、神様に選ばれた者として、この王国にやって来ていたのである。自分の民族に危機が迫った時、彼女は「わたしがもし死なねばならないのなら、死にます」。(エステル4:16)と言う。イエス様も仰せられた、「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と。彼女のこうした決死の行為がユダヤ人を救ったのである。これを記念してイスラエルではプリムの祭りが盛大に行われている。(伊藤)

 ヨブ記 2007年8月19、26日

 
   旧約聖書の歴史書はヨシュア記からエステル記までである。次に聖文学と呼ばれている、ヨブ記、詩篇、箴言、伝道の書、雅歌が記されている。
 人生は苦しみが多い。だから聖書を読んで、このヨブ記と出会い、慰めを得た人は少なくないだろう。
 言うまでもなく、ヨブ記のテーマは「なぜ義人が苦しむのか」である。なぜ神様は善良な人々が苦しむのを許されるのか、多くの人が心に抱いている疑問である。なぜ善良な人が恐ろしい病気で死ななければならないのか。またやることが一杯あるのに、なぜあの善良な人が死んだのか。なぜあんなかわいい優しい子供が死ななければならなかったのか、このようなことは誰でも一度は考えたことがあるだろう。
 ヨブ記1章には、あまりにも突然の相次ぐ悲報に、ヨブが悲しみのあまり「上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝した」(ヨブ記1:20)と記されている。
 その後にヨブが言った、「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」。(ヨブ記1:21)はあまりに有名だ。ここに彼の信仰の真髄が表されている。彼はなぜ自分がこのような災害に会わなければならないのか知らない。その理由もわからない。正しい者が突然の災害にあうという不条理は、人間にとって、いつの時代も同じだ。ヨブ記はこの難問に対し、自分の存在の原点に立ち返って考える。そして1章21節の言葉が発せられるのである。苦しみ、悲しみが襲ってくると、すぐに愚痴を言いやすい、不信仰に陥りやすい私たちだ。だから苦しくてやりきれない時には、ヨブ記を読んで、慰めと力を得ていって欲しいと願う。
 終りは、愛の神様を信頼してやまなかったヨブに対し、全て二倍の祝福をもって報いて下さった事が記されている。(伊藤)