館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 1999年1月

不思議な文字  ダニエル書5:1〜6 伊藤副牧師 

1999年1月3日
 B・C六世紀頃、バビロンという大国がありました。この国は、二代目のネブカデネザル王の時に最も繁栄し、当時の世界に君臨していました。 旧約聖書ダニエル書五章は、権力を誇り、栄華を極めたこのバビロン帝国の滅亡の章です。その日、ネブカデネザル王の孫ベルシャザル王は宮殿に千人の大臣たちを集め、大宴会を催していました。酔いがまわってきた頃に、王はエルサレムの神殿から奪ってきた金銀の聖なる器を持ってくるように命じ、人々はそれで酒を飲んだのです。 その時突然に人の手の指が現れ、宮殿の壁に不思議な文字で「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」と書きました。その意味は「あなたの治世は終わり、あなたの目方は足りなく、あなたの国は分かたれてメディアとペルシャに与えられる」というものでした。 そしてこの時ダニエルが解説したように、王はその夜のうちに殺され、国は滅亡してしまったのです。
  今朝は、この不思議な文字が私たちに教える人生の目的と教訓を学びたい。
 

幸福の秘訣 ピリピ人への手紙4:4〜7 市川副牧師 

1999年1月10日
 私たちはどんな時に「幸せだ」と思うでしょう。 試験に合格した時、願っていた職業に就いた時、結婚、子育て、昇進、旅行などなどいろいろあります。 同時に、一緒に喜んでくれる友達、家族がいるなら、何倍もの喜びとなります。 時には、悩んだり、悲しみに出会ったり、困ったとき、親身に話を聞いて、一緒に考えてくれる友人や家族に、励まされ、肩の荷が下りてホッとするでしょう。 このように、私たちの「幸せ」の重要な要素は「分かち合う」「互いに心が通う」喜びでしょう。私たちは、友達と、家族と、日常のなにげない事柄のなかに、この喜びを分かち合っているのです。 神様は、私たちにこのような「分かち合い」の喜びを与えてくださった方です。神様との心の交流があなたの日々に始まるなら、何事も祈り、神様から変わらない幸福と助けを受けるようになるのです。

マグダラのマリヤ ルカによる福音書8:1〜3 市川副牧師  

1999年1月17日
 「マリヤ」とお聞きになると、キリストのお母さんを思い浮かべる方が多いでしょう。 聖書ではその他にもベタニヤに住んでいたマルタ、マリヤ、ラザロ の三人姉弟や、今日お話するマグダラのマリヤなど、マリヤという名前には親しみがあります。 マリヤは、旧約では「ミリアム」と言い、モーセのお姉さんが挙げられます。エジプトの王女がナイル川の葦の中に赤ちゃんを見つけた時、ミリアムはすかさず申し出て乳母を紹介しました。その乳母はモーセのお母さんだったのです。機転のきいたお姉さんでした。 さて、「マグダラのマリヤ」はガリラヤ湖畔のマグダラという村の出身でした。マリヤという名前が多かったので区別のため、「マグダラ村のマリヤ」の意味でこう呼ばれていました。 マグダラのマリヤは、復活のイエス様に最初に会った人物で、私たちは忘れることができません。イエス様が最初に会ってくださったこのマリヤとはどんな人だったのでしょうか。

たといそうでなくても ダニエル書、3:1〜7 伊藤副牧師  

1999年1月24日
 ユダ王国は、紀元前五八六年バビロンの王ネブカデネザルの侵入によって滅亡し、約一万五千人のユダヤ人がバビロンへ捕虜として連れ去られました。これがバビロン捕囚と呼ばれます。この捕囚期間は、ペルシャがバビロンを滅ぼす紀元前五三八年まで続きました。しかし、この危機でユダヤ民族は弱体化するどころか、これを通して一層信仰において強められることになったのです。 バビロンの王ネブカデネザルは、治世第一八年に宗教の統一力を利用し、自分の王国の結束と安泰を計ろうとしてドラの平野に大きな金の像を作りました。そして王は、高官や国民をこの像にひれ伏して拝ませ、忠誠を誓う愛国心の表明を強制したのです。 ところが集まった人々の中で、三人の若者たちは王の命令に従わず、金の像を拝みませんでした。彼らは、たとい自分たちの命が奪われるようなことになっても、真の神に対する信仰を貫こうとしていたのです。 今朝は、この三人の若者たちから真実な信仰を学びたいと思います。(伊藤)

この岩の上に マタイ福音書16:13〜15 市川副牧師 

1999年1月31日
 ある時、キリストは弟子たちを連れて、ピリポ・カイザリヤに行かれました。ここはヘルモン山麓付近に位置し、こんこんと泉が涌き出ています。この泉はヨルダン川の源流の一つです。 この地方は、ギリシャ文化の影響を強く受け、神々の一つ、牧童神パンの神を祭った祭壇がありました。また、ヘロデ大王がローマ皇帝カイザル・アウグストに対して崇敬を表し、ローマ皇帝の像を安置した大理石の神殿を建てた場所でした。 このような場所でキリストは弟子たちに「あなたがたはわたしをだれと言うか」と質問なさいました。 いつも最初に応答するペテロが、この時も真っ先に「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と明言しました。キリストについて、こう告白できることは何と幸いでしょう。 続いてキリストは「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉の力もこれに打ち勝つことはない」と言われました。このキリストのお言葉はどのような意味でしょうか。