館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2008年8月

「熱心に調べる」 使徒行伝、17:1〜12 篠原貞雄兄 

2008年8月31日
 私にアメリカの大学で教えている友人がいる。彼の研究テーマは「日本社会におけるクリスチャン」というものであるが、彼が実施したクリスチャンへのアンケートの一つに「あなたの家には聖書がありますか。そしてそれはあなた個人の信仰生活において大切なものですか?」と言うものがあった。勿論大多数は「大切である」という答であったが、彼の興味をひいたのは「聖書はあるが自分の信仰生活にとって大切なものではない」という答が数パーセントあったことです。「聖書を大切だと思わないクリスチャン生活ってありうるんですか?」と、ノンクリスチャンである彼からの質問に、私は困惑しました。
 主はヨシュアに命じました。「この律法の書(聖書)をあなたの口から離すことなく、昼も夜もそれを思い、ことごとく守って行わなければならない」(ヨシュア記一章八節)。
 あなたにとっての聖書はどうでしょう? (江森 五男)

「エステルの奉仕」 創世記、1:1〜5 市川副牧師 

2008年8月24日
 創世記1章1節は聖書の冒頭の言葉です。聖書は神様が天地万物をお造りになったと語っています。
 「はじめに神は」というみ言葉のように、神様がすべての始まりであり、神様のみわざのゆえに、すべてのものが存在しているのです。イザヤ書45章18節にはこのようにあります。「天を創造された主、すなわち神であってまた地をも造り成し、これを堅くし、いたずらにこれを創造されず、これを人のすみかに造られた主はこう言われる、『「わたしは主である、わたしのほかに神はない。…』」
 私たちは、神様によって生かされています。イエス様はこの天地創造の神様を「天のお父様」とお呼びするように教えてくださいました。
 しかし、多くの人々はこの事実を知らず、認めず、神様抜きに生きています。本当に残念なことです。
 偉大な慈しみ深い神様によって生かされ、愛されていること、常に助けてくださる神様により頼んで歩むことは、どんなに幸いなことでしょう。 (市川)

「神様との出会い」 創世記、28:10〜17 伊藤 牧師 

2008年8月17日
 エサウは、弟ヤコブが父を騙して祝福を奪ってしまったことでヤコブを恨み、彼を殺そうとしていました。
 そのことを知ったリベカは、ヤコブの結婚に事寄せて夫イサクを言いくるめ、ヤコブを兄ラバンの所に逃がそうとするのです。
 そこでヤコブは、父イサクに呼び出され、祝福を受け、母の兄ラバンの娘たちの中から妻をめとるように命ぜられ、パダンアラムに向けて旅立ったのです。
 ヤコブは、不慣れなひとり旅に出て、孤独に襲われた時、今さらのように自分のしてきたことを後悔し、挫折感を味わい悩みました。
 ヤコブは、このような心を抱いて、ある所で石を枕にして野宿した時、「一つのはしごが地の上に立っていて、その頂きは天に達し、神の使たちがそれを上り下りしている」(十二節)夢を見たのです。
 そして主がヤコブのそばに立っておられ、彼は主の言葉を聞きました。
 今朝は、ヤコブのベテルでの「神様との出会い」について学びましょう。(伊藤)

「真の神様」 使徒行伝、17:22〜28 伊藤 牧師 

2008年8月10日
 8日から北京オリンピックが始まりました。ご存知のように、オリンピック発祥の地はギリシャのアテネです。
 このアテネの町は、昔から有名で、使徒行伝十七章には、使徒パウロがアテネの町を訪れたことが記してあります。
 この頃アテネは、知的な面で世界の中心都市でした。新約聖書が書かれた時代には、ローマ帝国が世界を制覇していましたが、知的な教育はアテネに依存していたほどです。
このアテネの町には、三千に及ぶ宗教施設があり、至る所に人間の手で造った偶像が立ち並んでおり、町は神々でひしめきあっていたと言われます。これはアテネの人々の宗教心というより、人々の宗教的不安の現われだと思います。
パウロは町を巡る中で「知られない神に」と刻まれた祭壇まで見つけました。そこでパウロは、「あなたがたが知らずに拝んでいるものを、いま知らせてあげよう」と言って、真の神様についてお話をしたのです。
今朝は、「真の神様」とはどんなお方かをご一緒に学びましょう。 (伊藤)

「初代教会への最初の迫害」 使徒行伝、8:1〜8 伊藤 牧師 

2008年8月3日
 先月は、キリスト教会最初の殉教者ステパノの死について学びました。
 そして、この信徒ステパノの殉教の死を契機として、初代教会に対する大迫害が起こって行くのです。
 ステパノの神殿批判等は、ユダヤ教の伝統に対する破壊的な挑戦と受け取られました。ですから、サウロ(のちのパウロ)はステパノを殺す場に立会い、彼を殺すことに賛成したのです。
 しかし、サウロは、ステパノの説教態度や最後の祈りには、胸を刺される思いがしたのではないでしょうか。
 にもかかわらず、サウロは強情にも狂った者のように、クリスチャンたちを迫害していったのです。
 なぜなら、ユダヤ教によれば木にかけられた、即ち十字架に付けられ殺されたイエス様は神様に呪われるべき者であるはずです。それなのに、そのイエス様を、神様が主とし、墓から甦らせたと宣べ伝えるクリスチャンは赦しがたい連中だとサウロは考えたからです。
 こうして初代教会への最初の迫害が始まったのです。      (伊藤)