館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2008年1月

「ナアマン将軍」 列王紀下5:1 市川副牧師 

2008年1月27日
  スリヤはイスラエルの北方に隣接している国です。現在もシリヤ、イスラエルは隣国同志で、仲がよくありません。
スリヤの将軍ナアマンは勇気があり、戦いに強い軍人です。ことにイスラエルとの戦争で、何度もスリヤに勝利をもたらしました。ナアマンは王様に信頼され、国民から尊敬された立派な将軍でした。地位も名声も財力もあり、すべてに恵まれていました。
 しかし、ナアマンは重い皮膚病で苦しんでいたのです。当時としては治る見込みのない病気でした。
 彼の家には、イスラエルとの戦争で捕虜になって連れてこられた少女がいました。少女は奥さんの召使として仕えていました。御主人ナアマン将軍の病気を知ると、奥さんに「わたしの国の、神様に仕える預言者のところに行けば、きっと治してもらえます」と話したのです。
 この言葉が糸口となり、ナアマンはイスラエルへと出かけました。ナアマンはそこで病気の完治に留まらず真の神様への信仰による救いを受けたのです。   (市川)

「繰り返された失敗」 創世記20:1〜7 伊藤 牧師 

2008年1月20日
  主がアブラハムとサラに、「来年の春、……あなたの妻サラには男の子が生れているでしょう」と約束してからイサクが生まれるまでの一年間に、二つの大きな出来事が起こっています。
一つは19章に記されている「ソドムとゴモラの滅亡」です。主は天から硫黄と火とを降らせて全滅させたのです。もう一つは、この20章に記されているアブラハムの繰り返された失敗です。
前者は不信仰の結末を明確に示し、後者は主に選ばれた者が更に聖められる必要を示していると思います。
アブラハムは先にエジプトでも失敗しているのに、ここでまたしても嘘を言ってしまいます。もちろんサラはアブラハムの異母妹ですから、全くの嘘ではありませんが、彼らは夫婦です。ですから一部は本当であっても、嘘は嘘です。
アブラハムがエジプトで失敗してから二十数年が経過しても、同じ人間が同様の失敗をする事もあるし、一度悔い改めた罪を、再び犯す事もあるのです。
今朝は、繰り返されたアブラハムの失敗を通し、主の教えを学びたい。(伊藤)

「バルテマイの救い」 マルコ福音書10:46〜52 伊藤 牧師 

2008年1月13日
 キリストとの出会いは、一生に一度の体験です。そのチャンスを生かした人は、本当に幸いな人生を送った人といえます。そしてエリコの町に住んでいた盲人バルテマイこそ、まさにその人だと言えるでしょう。
過越の祭りが真近に迫っていたある日、大勢の巡礼者の群れがエルサレムを目指しておりました。この都もうでの人々から施しを期待して、エリコの町はずれには、乞食がいたのです。
イエス様の一行は、エリコに来て、ザアカイの家に泊まり、翌日、エリコを出て行きました。この時、エリコの道端に座って物乞いをしていた一人が盲人のバルテマイでした。
彼はイエス様が近くを通られるの知って、大声で「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい」と叫びました。人々は彼を黙らせようとしましたが、彼は諦めず、ますます叫び続けたのです。そうした彼をイエス様は自分の所に呼び寄せて「わたしに何をしてほしいのか」と
尋ねると、彼は「見えるようになることです」といったのです。   (伊藤)

「恵みと力に満ちたステパノ」 使徒行伝6:8〜15 伊藤 牧師 

2008年1月6日
  使徒行伝六章の前半には、教会の中に、「ギリシャ語を使うユダヤ人」からの苦情が起こってきた時、七人の新しい役員が選ばれ、そのために使徒たちは「祈りと御言の奉仕」に専念し、教会は本来の目的を遂行していき、いかに進展していったかを記しています。
続いて後半には、選ばれた七人の役員のうち最初に記されているステパノがどのような伝道、証をしていったかについて記しています。八章には、もう一人の役員ピリポの伝道について記しています。つまり著者のルカは、使徒でない信徒の人々が、いかに聖霊に満たされて伝道していったか、ということをここで伝えているのです。
私たちは、この使徒行伝六章八節から八章までを通してクリスチャン一人一人が伝道していた事を教えられます。伝道する事はすべてのクリスチャンの責任なのだということを教えられます。
ステパノとは「冠」という意味です。その「冠」は、初代教会最初の殉教の死、という冠でした。今朝は、このステパノの人柄と働きを学びましょう。(伊藤)