館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2007年5月

「カルメル山のエリヤ」 列王紀上18:20〜24 市川副牧師 

2007年5月27日
 北王国イスラエルの王、アハブの手から逃れてケリテ川沿いに隠れたエリヤに、神様はカラスによってパンと肉を運ばせ、エリヤを養ってくださいました。
 神様のお言葉のとおり、この国には雨が降らなくなり、3年がたとうとしていました。干ばつのために飢饉が続き、国中、大変な食糧不足になりました。バアル礼拝を持ち込みそれに従ったアハブこそイスラエルを迷わせ悩ませていたのです。
 3年目に、神様は、エリヤをアハブに遣わしました。この地に雨を降らせよう、とおっしゃるのです。
 エリヤは、ますます偶像礼拝にのめり込んでいるアハブとイスラエルの人々に、まことの神様を明らかに示すために、カルメル山において全面対決を要請しました。エリヤは主の預言者としてただひとり、バアルとアシラの預言者は850人。
 まことの神様は生きていらっしゃり、力ある方だということ、また、イスラエルの民のように、主に従うのにどっちつかずでいてはいけないことを教えてくださる聖書の出来事です。(市川)

「全き者であれ」  創世記17:1〜8  伊藤 牧師 

2007年5月20日
 17章のアブラハムへの神様の契約は、本質的に15章の契約と同じです。
 15章後半には、契約締結の儀式が描かれています。古代オリエントの習慣に従い、裂かれた動物の間を神の顕現を象徴する燃えるかまどとたいまつが通過することにより、神様は契約の当事者と
してその約束の確かさを確認してくださったのです。
 にもかかわらず、このところで神様はもう一度契約を確認してくださっているのです。17章には、「契約」という言葉を12回も使っています。そして契約の確証のために、第一にアブラムの名をアブラハムと変え、サライの名をサラと変えました。第二に契約のしるしとして割礼を命じられました。こうして神様はアブラハムに現れ、契約は必ず実現すると語られたのです。
 今朝は、アブラハムが不信仰の故に失敗してから13年間(アブラハムの信仰停滞期)が経過し、再び15章で結ばれた契約を確かなものにしてくださった神様の契約と、その時命ぜられた割礼についてご一緒に学びましょう。 (伊藤)

「計算を越えた愛」 マルコ福音書14:1〜9  伊藤 牧師 

2007年5月13日
 今日は母の日です。世の中にはいろいろな名で呼ばれる愛がありますが、母の愛ほど美しい愛はないと言います。
 そこで「神の愛に最も近い愛は母の愛である」とも言われるのです。それは、どちらも計算を越えた無償の愛だからです。
 マルコによる福音書十四章には、まもなくイエス様が十字架にかかられるという張りつめた時に、ベタニヤ村に住んでいたマリヤという女性が、高価なナルドの香油をイエス様に注いだ出来事が記されています。 
 弟子たちは、なぜそんな無駄をするのか、なぜ貧しい人たちに、施さなかったのかと言って、その行為を非難しました。しかし、イエス様はマリヤの行為を賞賛しました。そこにはマリヤのイエス様に対する心からの感謝と献身の思いが込められていたからです。
 今日でも「ナルドの香油」は、愛と奉仕のシンボルと言われます。 
 今朝は、この計算を越えたマリヤのイエス様に対する愛から、神様の愛の素晴らしさをご一緒に考えましょう。(伊藤)

「神の川が流れ行く所」 エゼキエル書47:1〜9 伊藤 牧師 

2007年5月6日
 今日は礼拝に続いて臨時教会総会(決算総会)が開かれ、2006年度決算審議があります。お祈りをもってご参加くださいますようにお願いします。
 今朝は、「神の川が流れ行く所」に、何が起こるかをお話します。
 預言者エゼキエルは、神様の幻によって、神様の栄光が素晴らしければ素晴らしいほど、その栄光が失われた状況というものがどれほど悲惨なものであるかを遠くバビロンの地で見たのです
 預言者エゼキエルは、神様の祝福、神様の栄光を失った民の中に、厳しい裁きが起こることを幻で見せられた時、彼らに対する重荷と責任を感じないわけにはいきませんでした。
 そこで捕囚となっているイスラエルの民に、悔い改めを勧め、そして神様の恵みを受けるように語ったのです。
その時神様は、現実を見たら悲惨な希望のないような状況にあっても、エゼキエルにはっきりとこの民をもう一度リバイブ(信仰復興)する、もう一度回復するというビジョンを与えられたのです。それがこの四十七章です。 (伊藤)