館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2002年6月

「心の清い人の祝福」 詩篇100:1、2 伊藤 牧師 

2002年6月2日
 キリストが語られた第六番目の祝福は「心の清い人たちは、さいわいである、彼らは神を見るであろう」です。
 現代では、「頭のよい人、或いは、美人、裕福な人、健康な人はさいわいである」というかもしれません。
 しかし、キリストは何よりも祝福の源泉は「心が清くなる」ことであると教えました。
 人間は誰でも清いものを求めるものです。たとえば、きれいな空気、きれいな水などがあげられます。
 ある人は、着物とか住宅をはじめ都会の施設に至るまで、はたしてどの民族がどれほど清潔にしているかが、その民族の文化の程度を示すものだと言っています。

 私たちの生活は、科学の発達と文化の進歩によって外側の生活は以前よりも清潔になりました。しかしその心は今も昔と変わっていないのです。
 ある人は「心が罪に汚れた人で幸福な人を見たことがない」と言っています。
 今朝は、キリストが語る「心の清い人の祝福」について学びましょう。(伊藤)

「なくした銀貨」 ルカによる福音書15:8〜10 伊藤 牧師 

2002年6月9日
 ルカによる福音書15章に出てくる第二番目のたとえ話は「なくした銀貨」です。
 ここでは、十枚の銀貨を持っていた女の人が、その一枚を何かのひょうしになくしてしまいました。この女の人は、それを見つけるのに家中を大掃除して、隅から隅まで捜し回って、とうとうそれを見つけ、大喜びをし、近所の人まで呼び集めて喜んだ、という話です。
 ここでキリストが言おうとしていることは明瞭です。失われた一枚の銀貨は、この女の人にとっていかに価値あるものであったかということです。
 同様に、愛なる神様は、神様から離れ、失われている人々が、神様の前にはいかに価値ある存在であるかを明示しているのです。
 それゆえに神様は、今もなお、失われている大切な人々を、教会の祈りとみことばと伝道の働きをもって、捜し見つけ出そうとしているのです。
 今朝は、「なくした銀貨」のたとえ話を通し、私たちを価値ある者と見ておられる神様の愛をお伝えしたい。(伊藤)

「ガテへの亡命」 サムエル記上21:10、11 市川副牧師 

2002年6月16日
 ダビデとヨナタンは主にある約束を確認して、ヨナタンは町へ、ダビデは「祭司の町」ノブに向かいました。ダビデにとって、このときから本格的な亡命生活が始まりました。
 前回、これが彼ら二人の最後の別れと記しましたが誤りでした。お詫びいたします。この亡命生活でジフの荒野にいたとき、ヨナタンがダビデに会いに来たことがありました。彼はダビデを励まして、父サウルがどんなに追跡してもやがてダビデはイスラエルの王となるだろうということ、これは父サウルも知っている、と語っています。ダビデは少年の頃神様の召しをいただき、サムエルから王としての油注ぎを受ましたが、摂理のうちに次第に実現に向かっていたことがわかります。
 さて、ダビデがペリシテのガテに亡命したのは、敵国に逃れなければならないほど、国内において追い詰められていたからです。しかし、敵国には救いも助けもなく、瞬時の判断で狂気を装い身を守らなければならない程でした。これは詩篇にも歌われています。  (市川)

「ザレパテでのエリヤ」 列王記上17:8〜11 伊藤 牧師 

2002年6月23日
 預言者エリヤはザレパテの門に着いた時、ひとりの「やもめ女」に水を求めました。婦人が水を汲もうとするのを見て、さらに一口のパンを求めました。
この婦人は貧しく、今、たきぎを拾って、かめの底の最後の粉でパンを焼き、あとは糧を得るあてもなく死を待つばかりだったのです。旱魃のために、粉の入手は貧しいものには困難でした。
この時、婦人はエリヤを見て預言者とわかったらしく、「あなたの神、主は生きておられます」と言いました。婦人は、イスラエルのまことの神について知っており、また信じていたのです。
そこでエリヤは婦人に対して、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかし、まず、それでわたしのために小さいパンを一つ作って持ってきなさい。……『主が、雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われる」(十三、十四節)と言ったのです。
 今朝は、生ける神の言葉を信じて従ったこの婦人の信仰を学びたい。(伊藤)

「本当の生き方」 マタイによる福音書6:33 宮田 政信 

2002年6月30日
館林キリスト教会のすばらしさの一つは、クリスチャン・ホームが多いと言うことです。それもみんながそれぞれの働きに従事し、喜んで奉仕をしていることだと思います。今日、礼拝説教のご奉仕をして下さる宮田政信さんのご家族も、その一つです。
 宮田さんが館林教会で、礼拝説教をしてくださったのは、二〇〇〇年四月三〇日ですから、今日のご奉仕は二年二ヶ月ぶりになります。
 今回宮田さんは、マタイによる福音書六章の後半の部分から「本当の生き方」というテーマで話されます。
 経済学者ガルブレイスが現代の世界を不確実性の時代と言ってから久しくなりますが、その様相は深まりをみせ、人々の思い煩い、不安等はますます増加する傾向にあります。
 では、こうした思い煩いから解放される本当の生きる道はあるのでしょうか。そんな私たちの問いかけに、イエス様が教えてくださったのが今日のテキストで、それを宮田さんがお話してくださるのはとても感謝です。 (伊藤)