館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2002年2月月

「祝福された贈物」  マタイによる福音書5:5 伊藤 牧師 

2002年2月3日
 この世界は力関係で成り立っています。そのために人々は競争にあけくれ、なんとかその力を認められたいと凌ぎをけずっています。
 しかしキリストは、山上の説教で「柔和な人」の幸いについて語りました。
 当時、ユダヤ人が考えていた王国は、物質的であると同時に軍事的でありました。彼らにとっての救い主は、彼らを勝利に導いてくれる人物であると考えていたのです。
 しかしキリストは、「柔和な人たちは、さいわいである、彼らは地を受けつぐであろう」と教えたのです。
 使徒パウロは、回心するまでは利己的な自信家でした。大勢のクリスチャンを牢獄に入れるようなことをした人でしたが、ダマスコ途上でキリストの救いを受けました。そして彼がガラテヤ人への手紙で、「御霊の実は、愛、喜び、平和…柔和」と書き送ったように、彼は御霊の働きによって柔和な人に変えられ、主の働きに大いに用いられたのです。
 今朝は、柔和な人に与えられる、祝福された贈物について学びたい。(伊藤)

「聖書の力」 テモテへの第二の手紙3:16、17 伊藤 牧師 

2002年2月10日
 聖書は一冊の本ですが、もともとは、六十六冊の書物が集まった全集といった構成でした。
 また聖書には、旧約聖書と新約聖書という二つのグループがあり、最初の創世記から最後のヨハネの黙示録が書かれるのに要したのは、約一五〇〇年ほどで、著者は四十人位おり、文体は多様です。
 それと同時に驚くほど統一性のあるユニークな書物です。このような聖書の成り立ちについてあまり知らない人が、聖書を読みますと、一人の人が書いた本であるかのように、首尾一貫しており、統一がとれている書物なのです。
 その理由は、聖書の著者たちが自分の考えによって書いたのではなく、聖霊に導かれて神様の言葉を書き記したものだからです。ですから聖書の本当の著者は神様なのです。
 さらに聖書は、その初めから終わりまで、「キリスト」という一つの主題で貫かれているのです。
 今朝は、この聖書がもっている力についてお話したいと思います。 (伊藤)

「あなたの天幕を広げよ」 イザヤ書54:1〜3 伊藤 牧師 

2002年2月17日
 今日は、礼拝に続いて定期教会総会が開かれます。「二千二年度の予算審議」と「館林キリスト教会会堂新築基本設計等」に関する提案があります。これらの審議が神様に祝福されるように、互いに祈りつつ臨みたいと思います。
 さて、このイザヤ書五四章は、選民であるイスラエルが再び集められたことを記した歌であると言われています。
 遠くの地から多く者が帰還してくるので、宿泊施設を拡張するために天幕を広げる必要が生じたのです。
 昔、イスラエル人は、砂漠を四〇年間旅し、テント住まいをしながら約束の地に向かって前進しました。シナイ半島において、天幕の生活をしていた彼らにとっては、大勢の人たちを住まわせるために天幕を広げるのは当然のことです。 
 そして、このイザヤ書五四章二節「あなたの天幕の場所を広くし…、あなたの綱を長くし、あなたの杭を強固にせよ」というみことばは、神の民が宣教によって住まいを拡大しつつ、祈りに生き、神のみことばを拠り所として歩めという私たちへの勧めでもあるのです。(伊藤)

「ダビデとゴリアテ」  サムエル記上17:1、2 市川副牧師 

2002年2月24日
 ダビデは、イスラエルの王として選ばれサムエルから油注ぎを受けました。
 しかし彼はまだ少年でしたから今までのように、父エッサイの羊の世話をしていました。やがてサウル王は、武器を執る者としてダビデを召しました。それからは、時には、王宮で竪琴を弾いて、混乱した王の気分を静めるのが役目でした。 このように、ダビデはサウルの王宮から、行ったり来たりして、ベツレヘムの父の羊を飼っていたのでした。
 さて、国に再びペリシテとの戦いが始まりました。ダビデの兄たちは招集されました。戦いは長引き、父エッサイは末っ子ダビデに兄たちの安否を尋ねさせました。
 戦場では、もう四〇日もにらみ合いが続いていました。ペリシテの代表戦士ゴリアテは朝に夕に一騎打ちを持ちかけましたが、恐れて誰も応じる者がいなかったのです。
 ダビデは「生ける神の軍」に挑んだゴリアテとの一騎打ちに立ち上がりました。           (市川)