館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2001年10月

「生き甲斐の土台」  マタイによる福音書7:24〜27 伊藤 牧師 

2001年10月7日
 建物には基礎工事という土台造りがあり、学校には、教育基本法という教育の土台があります。
 草や木には「根」があり、これがないものは「根無草」と呼ばれて、あやふやな人生の代名詞になっています。
 人は、古今東西、老若男女「私の人生の支えは何か」ということを探し続け旅をしている、と言われたりします。
 ある人は、人生の支えに、「健康」をあげ、またある人は「お金」をあげます。しかし、誰にでもなくてはならぬ人生の支えは、「生き甲斐」だと思います。「生きていて良かった」という生きる喜びです。これを持てなかったら、健康でも、お金があっても、本当に満足した人生を送れないからです。
 イエス・キリストが話してくださった有名なお話に、「二つの家のたとえ話」があります。これは、昔から、人が求めてやまなかった「生き甲斐の土台とは何か」、という問いに対する明確な解答だと思います。
 今朝は、この生き甲斐の土台であるキリストの言葉からお話します。(伊藤)

「一緒にいてくださる方」  詩篇23篇1,2 伊藤 牧師 

2001年10月14日
 今朝も続いて教会においでくださり、心から歓迎いたします。
愛するご家族、気の合う友達が、あなたを、いろいろな形で支えてくださるのは、心強く、嬉しいことです。
 今朝は、あなたに、さらに、おひとりの方をご紹介しましょう。その方と、お知り合いになっていただきたいからです。初対面なら「はじめまして」と、あいさつをしていただきたいのです。なぜなら、その方は、あなたを愛して、あなたとともに歩んでくださろうと待っていてくださったのですから。
 有名なダビデ王は
 「主はわたしの牧者であって
 わたしには乏しいことがない」
 と、真の神様である主が、生涯ともに歩んでくださった幸福を歌っています。
あなたが、親しく、主なる神様に心を開くなら、主は、今日からずっと、あなたとともにいてくださるのです。お祈りすると、主は、祈りの言葉に耳を傾けてくださり、主も、聖書のことばによって語りかけ、あなたを導き、新しい力を注いでくださるのです。(市川)

「幸せのカギはあなたの手に」 歴代志下7:14 荒川雅夫牧師 

2001年10月21日
 今朝の特別礼拝に、前橋キリスト教会の牧師、荒川雅夫先生をお迎えして、聖書のお話をうかがえることは本当に感謝です。
 数年前、荒川先生が私たちの所属する福音伝道教団の運営委員長をしておられた時、館林キリスト教会でご奉仕してくださいました。その時、心に食い入るようなシャープなメッセージと共に、ほっとさせるようなユーモアを交えて、キリストにある命の恵みの豊かさを十分に語ってくださいました。
 先生の奥様であられる清子先生は、ご存知のように館林キリスト教会出身です。十年位前に、母の日の特別集会でご奉仕をして下さったのを覚えておられる方も多いでしょう。
 さて、先生は今回「幸せのカギはあなたの手に」というテーマで話されます。誰もが幸せになりたいと思っています。しかし、多くの人がカギを持っておらず、幸せになれないでいるのです。先生は、幸せのカギがどうすれば自分の手に入るかを教えてくださるでしょう。
 期待しつつお聞きください。(伊藤)

「自分自身の再発見」 ルカによる福音書15:11〜14 市川副牧師 

2001年10月28日
 聖書の中にたくさんの優れたたとえ話が出てきますが、その中でも「放蕩息子の話」は一番よく知られていると思います。
 トレルチは、「キリストのたとえ話の中で最高のもので感動的であり、最高の色彩で描かれ、聖書のたとえ話の中の真珠であり頂点である」と言っています。
 一人の弟息子が財産を持って家を飛び出し、さんざん放蕩に明け暮れた末、すっかり落ちぶれ、故郷へ錦ならぬボロをまとって舞い戻る羽目になります。父親は遠く離れていたのに、その姿を見つけ、走り寄って息子を抱きしめ、家に迎え入れるという話です。
 このたとえで、父親は神様のことで、弟息子は私たち人間をさしています。この弟息子が、本心に立ち返って、本当の自分を発見したのは、自分の苦しみの原因に気づき、父親の愛を思い起こしたからです。
 どんな人をも、もろ手を広げて、ありのまま迎え入れてくださる神様の愛と赦しがわかると、その人の心も人間関係も変わってくるのです。  (伊藤)