館林キリスト教会

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礼拝のメッセージ 2001年4月

「わが主、わが神」  ヨハネによる福音書20:19〜21 伊藤 牧師 

2001年4月8日
 イエス様は、復活された日曜日の夕方、トマスを除いて集まっていた弟子たちの前に「安かれ」と言って復活のお姿を現されました。
 そこで弟子たちは喜び勇んで、戻ってきたトマスに、「わたしたちは主にお目にかかった」と言いました。するとトマスは、仲間達の言葉を信じませんでした。それどころか、そんなことはありえないと言わんばかりに、「わたしはその手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れて見なければ、決して信じない」とまで断言したのです。
 しかしイエス様は、八日後に再び彼らが集まっている部屋に現れて、イエス様が復活された事を信じないトマスを丁寧にお導きになりました。その時、トマスはこの復活のイエス様の愛に触れて、「わが主よ、わが神よ」と言ってイエス様に礼拝をささげたのです。
 今朝は、イースターを前に、復活のイエス様に出会ったトマスを通して、主のよみがえりと、私たちへの約束をご一緒に学びたいと思います。  (伊藤)

「新しい生命に生きる」  ローマ人への手紙6:1〜8 村上隆一牧師 

2001年4月15日
 今朝の礼拝は、敬愛する小林牧師の召天記念礼拝です。
 記念礼拝をささげ小林牧師を偲ぶことは意義深いことに違いありませんが、一抹の寂しさがあるのも事実です。なぜなら、先生はもう私たちに声をかけてくれないし、そんな事実を確認しなければならない気がするからです。
 今朝、小林牧師の召天記念礼拝のために、村上隆一先生にご奉仕をしていただけるのは本当に嬉しい事です。小林先生も天国で喜んでいると思います。
 私は、数多い小林先生の弟子の中で村上先生が一番弟子だと思います。
 村上先生が結婚した時、その司式をなさった小林先生は、涙を流し、しばし声が出ませんでした。数年前の聖会で、村上先生が説教のご奉仕をし、小林先生が祈った時、その涙の祈りは、いかに先生を愛し、神様に感謝しているかがほとばしり出ておりました。
 その先生から、小林先生の志を受け継いでいくために、私たちはどうすべきでしょうか。先生の説教を通して、神様から教えていただきましょう。(伊藤)

「アンモンの攻撃」 サムエル記上11:1 市川副牧師 

2001年4月22日
 これはサウルがイスラエルの王として選ばれた直後の出来事です。
 アンモンびとの王ナハシがイスラエルのヤベシ・ギレアデを攻撃し、この町を攻め囲みました。しかし実は、アンモンびとの侵入は以前からあり、そのためにイスラエルの人々は、王が必要だと要求していました。彼らが王を求めた理由は、サムエルが老年になったから、あるいは、その子らの行いが悪かったからでなく、その本当の動機は天の神様に対する不信仰にあったのでした。サムエルは「あなたがたの神、主があなたがたの王であるのに」(サムエル記上、十二章十二節)と諭しています。
 アンモンとイスラエル間には、以前から戦いがありました。イスラエルは士師エフタの時代に勝利を得ました。アンモンは、今度反撃し、ヤベシを攻めたのでした。イスラエルが協力して対抗してくれるかどうか、ヤベシの長老たちは七日間の猶予を申し出ました。ヤベシの攻撃を聞いたサウルは三十三万の人々を招集し、アンモンに対抗しました。 (市川)

「主の軍勢の将」 ヨシュア5:13〜15 伊藤 牧師 

2001年4月29日
 エルサレムが自然の要塞都市であるように、当時カナンの人々にとってヨルダン川は、彼らを敵の侵略から守ってくれる自然の要塞のように信じられておりました。
 ところがまことの神は、そのヨルダン川の水をせき止め、イスラエルの人々が渡る所を干しからし、彼らに乾いた川底を渡らせたのです。
 これを聞いたカナン人の王たちは、心は消え、彼らのうちに、もはや元気もなくなってしまったのです。
 普通に考えれば、ヨシュア記一章において、指導者ヨシュアと民の内部的な準備が整い、二章において、斥候を派遣してエリコを偵察し、三章において、奇跡的にヨルダン川を渡ったならば、その勢いに乗って一気にエリコに攻め込むのが戦いの常識ではないかと思います。
 ところが聖書は、三章の「ヨルダン川を渡る」と六章の「エリコの攻略」の間に、神の奇跡的なわざを記念する四章と、民が割礼と過越の祭を行った五章を入れています。それは実際の戦い前に、霊的な備えが必要だからです。(伊藤)