館林キリスト教会

ショート旧約史 列王紀下 1〜12章

列王紀下 1章1〜16
アハブが死んだのち、そのあとをついで、王子アハジヤが即位したことが、前章の終りに出ている。アハブの感化影響のもとに人となったアハジヤは、父王アハブの悪業を継承した。 自分が病気になると、ペリシテの町エクロンのバアルの神殿に使者をつかわして、病気の回復を祈らせようとした。 エリヤは神の命によってこの使者に会い、詰問したので、使者は王宮に引き返す。王は怒って兵隊を送ってエリヤを殺させようとしたが失敗した。そしてエリヤの宣告通り、その病気は回復せず、足かけ2年で、不名誉なその治世を終った。

「エリヤの別れ」 列王紀下 2章1〜8
 エリヤは地上の奉仕を終って、天に召される日が近いことをすでに悟っていたらしい。 エリヤのこの

「予感」は、エリヤが親しく霊的な指導と訓練に当っていた、ベテル、エリコなどのいわゆる

「預言者学校」の学生たちも、おのずから感ずるところとなり、学生たちは緊張していた。 今エリヤは、決別のつもり各学校を巡回したが、一緒にいたエリシャを通して

「決してさわぎ立ててはいけない。またエリヤのあとを慕って、ついて来るようなことがあってはいけない」と、かたくいましめたのである。 しかしエリシャ自身は、エリヤを離れることなど、絶対にできなかった。エリヤの方でもまた、エリシャだけは、必ずしも拒絶しなかったらしい。

「霊の二つの分」 列王紀下 2章9〜22
生きたまま昇天したケースが、旧約に記されているのは、エノクとエリヤの2人だ。 しかしキリストの変貌の時、モーセとエリヤが姿をあらわしたのを見ると、モーセもまた、この2人に準ずる昇天をしたものと思われる。 さてここでエリシャが、最後の最後までエリヤに従い、その不思議な昇天の様を見とどけ、一面エリヤもまたエリシャに対してそれを許したということは、およそ先生について物を学ぼうとする、弟子の模範である。 それでこそ彼は、

「エリヤの霊の二つの分」をうけて、その後継者となり得たのだ。

「モアブ遠征」  列王紀下 3章1〜12
アハジヤ王の不名誉な死のあとその弟ヨラムがイスラエルの王となった。彼もさすがに、父王アハブ、兄王アハジヤの最後を見ては、神の裁きを恐れたらしく、バアルの石柱をのぞくなど、父や兄にくらべれば、幾分か善政を布いたと言える。 しかしヤラベアムが設置した、ダンとベテルの金の子牛礼拝の神殿を、取りのぞくまでには至らなかった。 今、死海の東南にあるモアブが長年服従して来たイスラエルにそむいたので、イスラエル、ユダ、それからもっと南方のエドムの、3人の王が連合して、モアブを遠征しようとした。彼らは死海の南を迂回してモアブを攻撃する作戦に出たが、困ったことに飲料水がつきてしまった。

「祈りの予備隊」  列王紀下 3章13〜20
この迂回作戦はそれなりのメリットもあったのだろうが、予定以上に時日をついやし、その結果飲料水が欠乏して補給の方法もなく、この作戦は失敗だった。 しかし従軍していたエリシャは3人の王の懇望に答えて神に祈って、奇跡によって軍隊に水を供給し、戦争を勝利に導いたのである。 どんなに周到に立てた作戦でも人間がやる以上、予期せぬ事態にぶつかれば、いつ失敗、危険におち入るかわからない。 この軍隊の中に、敬虔なヨシャパテ王、預言者エリシャがいたことが、この場合の救いであったように、私たちにとっても、いつも

「祈りの態勢」が必要だ。

「破壊作戦」 列王紀下 3章21〜27
イスラエルとその連合軍は、この時徹底的な破壊作戦でモアブの町々を滅ぼした。 命のつなの井戸を全部埋め、砂漠の中にほそぼそと仕立てた耕地や、まばらな林もつぶし、まるでもとの砂漠にしてしまったから、残ったのは地名だけのようなありさまだ。 モアブが立てこもった最後の城を包囲すると、昔のことだから、まわり中から雨あられと石を打ちこんで攻撃する。 くやしがりのモアブ王が700人の決死隊を包囲軍に突入させたが、これも失敗に終わった。 なかば狂気のようになったモアブ王は、いよいよ玉砕のつもりで、その長男を人身御供にささげてその神に祈る。 その恐しい様子が城壁の上に見える。 これではキリがないので、イスラエルの人々のイヤ気がさして戦う気がなくなり、勝手に戦争を放棄して、みな自分の国に帰ってしまった。

「エリシャ先生」  列王紀下 4章1〜10
これから預言者エリシャ先生の奉仕の話がいろいろある。 エリシャは一方では、いわゆる

「預言者学校」の校長だし、一方では、その学校を卒業して奉仕に当たっている

「預言者のともがら」の指導者、責任者であった。 今、清貧に甘んじながら忠実に奉仕して昇天した、1人の預言者の遺族の訴えに対して、奇跡をもって生活の必要をみたしてあげたのも、彼の責任者としての役目を果たしたことだった。 この話はまた、教会に聖霊がそそがれ、次第にすべての信徒が聖霊にみたされていく、原理と秘訣を示す1つの型として、今も用いられている。

「休憩所の提供」 列王紀下 4章11〜25
エリシャがシュネムに往復する途中に、この裕福な家族の家があったのだろう。 ある日エリシャが通るのを見かけ、食事にでも招き入れたのがキッカケとなって、彼が通るたびに何かと接待するうち、いよいよエリシャに対する信頼、尊敬の念が深くなり、とうとう自由に宿泊もできるような一室を作って、エリシャに提供することになったのだろう。 そのむくいとして、子供がいなくて淋しかったこの家庭に、神の祝福によって、子供が与えられることになったのである。 

「わが弟子たる故に一杯の水を惜しまない者には必ずむくいる」とおっしゃった、キリストのみ言葉も思い合わされる。

「日射病」 列王紀下 4章25〜37
神様の祝福によって与えられたこの子供が、日射病か何かで突然死んでしまったので、急いでエリシャに知らせた。 エリシャはすぐにやって来ると祈りによってこの子供を生かし、再び母親の手に渡したのである。 これは一つの奇蹟であるが、それにしてもこの場合エリシャの祈りの、熱心と愛と、ねばりの姿には、本当に頭が下がる。 話は違うが、我々の伝道によって人が救われるのも一つの奇跡である事を思えば、祈りにおいて愛のおいて、努力において忍耐において、我々もエリシャのようでありたいと、切に願うのである。

「昔の聖書学院」 列王紀下 4章38〜44
どんなに良い生徒でも、学生というものは先生に世話を焼かせるものだ。 そのころの

「預言者のともがら」すなわち聖書学院で、ある時ひとりのおっちょこちょいの食事当番の学生にために、危く全生徒が食中毒で死ぬところだった。 一人の生徒が悲鳴をあげたので、エリシャが祈って、何かの粉をまぜたら、食べられるようになった。これも奇跡かもしれないし、あるいはエリシャが何か、解毒剤、あるいは中和剤をまぜたのかも知れない。 次に後援者の一人がごちそうを寄付してくれたが、せっかくのごちそうも全員が食べるにはどうにも足りないので、かえって気がもめる有様だった。 しかしエリシャの言葉どおりに皆で食べたら、全員満足してなお余りが出た。これも奇跡かも知れない。あるいはそういう食べ方もあるかも知れない。 今の聖書学院にも、これと似たような話があるかどうか。

「ライ病の将軍」 列王紀下 5章1〜14
ライ病は昔から、罪の型として取りあつかわれている。 潜伏期がある、だんだん体がくさってゆく、伝染する、不治の病だ、などと言われていたのが、罪と共通点があるからだろう。 今、スリヤの将軍ナアマンが、この恐しい病気から奇跡的にいやされた、そのプロセスの中に、我々は罪からの救いのプロセスを学ぶことができるのである。 ここに捕虜としてナアマンの家に仕える、不遇にして可憐な一少女の、感化力をともなった証、進言がある。 ナアマンはこれに期待して出発した、つまり彼の心と行為による応答がある。 彼が通らなければならない意外な経験。そして学ばせられた、謙遜と神の言葉に対する従順など。 我々も同じようにしてキリストの十字架の血潮をうける時、恐しい罪と滅びからの救いを、経験することができる。

「慾ばりゲハジ」 列王紀下 5章15〜27
エリシャは主の伯として、もともと清貧に甘んじていた。 その弟子ゲハジとて同様であったろう。 しかしナアマンが莫大な謝礼を提供しようとした時、エリシャの眼はくらまなかったが、ゲハジの眼はくらんだ。 誰にも

「ちょっとした口のきき様で大金が入る」というようなチャンスはあるもので、ゲハジは良心にそむいて、このチャンスを利用したのだ。 しかしこの大金は、実は罪と抱き合わせだった。大金をつかんだ結果、ゲハジにはライ病が生じたのだった。 人の心のスキをうかがう、悪魔の誘惑は恐しい。 

「金銭を愛することは、すべての悪の根である。すべての悪の根源である。ある人々は慾ばって金銭を求めたため、信仰から迷い出た」テモテ第一、6章10節

「学院増築」 列王紀下 6章1〜7
聖書学院がせまくて不便になって来たから、増築をすることになった。皆で山に行って材木を取って来て、手造りでやろうということで、しかも材木を切り出すおのやその他の道具も、学院に好意を持つ人から借りて来るなど、昔の学院の質朴な様子がしのばれる。 しかし、素人仕事というものは、さわぎの割にはうまくゆかないもので、誰かがおのの頭のはまり工合もたしかめないで、力まかせに木を切り倒そうとすると、木は切れないで、かえっておのの頭が飛んで、しかも水の中に沈んでしまった。そこで例の如く

「エリシャ先生何とかして下さい」ということになる。 エリシャがこの時取った方法は奇跡なのか、それともそういうやりかたがあるのか、よくわからない。 それにしてもエリシャはやさしく、面倒のよい先生だと、つくづく思う。 牧師もそうありたい。そうでなければ人は育たない。と共に、いつも我々の失敗を深くとがめず、かえって愛と恵をもって取りあつかって下さる、我々の

「信仰の導き手である、また完成者である。イエス」のことが思われる。

「火の馬火の戦車」 列王紀下 6章8〜19
家庭でも教会でも国家でも、真剣に祈る人がいる場合、神様は彼の祈りに答えて、家庭を守り、教会を守り、国を守り、つねに助けと祝福を与えて下さるのである。 エリシャの祈りの奉仕は、尊いものと言わなければならない。 今、エリシャの召使いは、彼らの家を包囲した、スリヤの大軍を恐れた。 しかしエリシャが祈って彼の眼を用いた時彼は、彼らを守るために野山にみちた神の軍隊、火の馬と火の戦車の大軍をあきらかにみることができた。 いつの場合でもクリスチャンにとって

「われわれと共にいる者は、彼らと共にいる者よりも多い」のである。

「サマリヤ攻囲軍」 列王紀下 6章24〜33
 王様、政府、軍隊などは、もともと社会秩序の維持、外敵からの保護、国民生活の安定などのために立てられているものだが、これらの大切な責任は、神の助けなしには果たしてゆくことができない。それ故にすべての責任者たる者、平素からへり下って神に祈るべきであるのに、ともすれば、それに気がつかないで、いばることやぜいたくばかりでいそがしい。 今ここにスリヤ軍の包囲攻撃下のサマリヤ王は、ふだんの不心得がたたって、全く神の保護も助けも得られず、国民が餓えようが、悪事を行おうが、何の手も打てない、言わば破産的状態をさらけ出している。

「四人のこじき」 列王紀下 7章1〜8
長期にわたるシリヤ軍の包囲攻撃のため、サマリヤ城内は飢餓状態で、王様はじめ市民全体が混乱と絶望におち入っている中で、四人のライ病のこじきが、まことに落ちついた態度で、自分たちの生きのびる可能性を検討した。 このままここに止まること、町の中で食物を求めること、逆にスリヤ人の陣営に逃げてゆくこと。いまなし得る三つの事の中で、二つは即、そのまま死につながるが、最後の奇想天外な道は、二分の一の生きる可能性を含んでいる。なぜなら、スリヤ兵もライ病のこじきなどは殺さないかも知れないからだ。 彼らはそれをやってみた。 そして凄い幸運にぶつかり、その結果ひいてはサマリヤも救われることになったのだ。 われわれも絶望したり嘆いたり、いわゆる精神のカラまわりをしていないで、あくまでも神を信じて最後までやって見ることだ。

「救いのニュース」 列王紀下 7章9〜20
こじきたちが幸運にも、食物と富にありついた頃、サマリヤはまだ飢えと滅びに直面していた。  彼らは

「われわれのしていることは良くない。黙って自分だけ幸運にありついて、サマリヤを見殺しにすれば、罰をこうむるであろう」と言って

「スリヤ軍はすでに逃走してしまった」というニュースをサマリヤに知らせるために立ち上ったのである。 これはさきにキリストの救いを経験した、クリスチャンの責任と似ている。 それにしても、サマリヤが救われたのが、王や将軍の力でなく、

「軽んじられて無きにひとしい」ライ病のこじきによったのは、ゆかいでもあり、また暗示的なできごとでもある。

「女の訴訟」 列王紀下 8章1〜6
飢饉を避けて七年間、外国住まいをしていた婦人が、帰郷してみると、留守の間に家も畑も、人に取られてしまっていた。 これを取りもどすためには王に訴え、今日で言えば裁判をしなければならない。 しかしもともと裁判は面倒なものだ。まして昔のことだから、なかなか取り上げてもらえず、女の場合などは、結局泣き寝入りに終ることも多かったろう。 しかしこの場合は、丁度王様がゲハジに、エリシャの奉仕についていろいろ聞いているところに、女の訴訟が届いた。しかもこの女がよくエリシャに奉仕したこと、エリシャもまたこの女のために、一度死んだ子供をよみがえらせた話などを、ちょうどしていた所だったので、すぐこの女の訴訟はよい結果をみた。 これは神の摂理であり、またこの女の預言者に対する奉仕の報いと言うほかない。

「刑罰の器」 列王紀下 8章7〜19
アハブ、イゼベルらの影響を、きれいにぬぐい去ることはむずかしく、イスラエルは次第に、宗教的、道徳的に低下をつづけ、政治的軍事的にも混乱し、終末、亡国の運命に近ずいて行く。 今、病気療養中のスリヤ王は、側近の有力者ハザエルに、多くの贈物を持たせ、自分にかわってエリシャを訪問させた。丁度エリシャはダマスコに来ていたのである。王は自分の病気のなりゆきをエリシャに問わせたのだった。 エリシャはハザエルの野心を見抜いて

「あなたは王となるだろう」と預言した。そしてその顔を見つめて泣いた。 ハザエルは結局スリヤ王を暗殺して王となるが、やがて彼は、神の祝福を失ったイスラエルに侵入して、イスラエルに対する神の裁きを執行する器となる。即ち多くの残虐行為を行うのである。 エリシャはそれをも予知した故に泣いたのだ。

「悪影響」 列王紀下 8章20〜29
南国王ユダの王ヨラムは、敬虔だったヨシャパテ王の王子であったが、イゼベルの娘を妻としていたので、イゼベルの影響は次第にユダにまで及んで来たのである。 ここでも宗教と道徳の混乱が、政治軍事の混乱を招いていた。そして混乱している国は外国にあなどられるのである。 従来はユダの属国だったエドムやリブナが、今ユダに反抗して独立してゆくのもそのためである。ヨラム王はこの勢いを食い止めようと、エドムに攻めこんだが、かえって包囲され、命からがら逃げ帰るありさまだった。 結局彼は失意のうちに死んだ。

「クーデター」 列王紀下 9章1〜16
アハブ王の子、現イスラエル王ヨラムは、スリアとの戦争で負傷して、エズレルの別荘で傷を養うことになり、ラモテ・ギレアデに出征中の現地軍の指揮は、将軍エヒウにまかされた。 エリシャの命令によってつかわされた一人の弟子は、丁度作戦会議中の将軍エヒウに会うと、油そそいで彼をイスラエル王とし、アハブ王家一族ことにイゼベルを罰するように命じた。 イゼベルのような人は、生きている限り暗躍を止めない。しかもアハブ王家はすでに人望を失い、国中に革命、革命の機運がみなぎり、将軍エヒウはもともとそのリーダーだったのだ。 軍人たちはすぐエヒウを立てて王とし、このクーデターを成功させるために、すぐにアハブ王家一族を殺そうと、すぐにエズレルに向って進軍する。

「イゼベルの死」 列王紀下 9章17〜37
将軍エヒウの行動は、迅速果敢だ。エズレルで静養中だったイスラエル王ヨラムは、変だとは思いながらエヒウを出むかえたが、丁度ナボテのぶどう畑だった場所で疾風のように馬車を飛ばして来るエヒウを見ると、反乱に気がついて逃げようとするところを射殺された。 状況を悟ったイゼベルは、くそ落ちつきに落ちついて、ゆっくりお化粧を仕上げ、城の窓から首を出すと、エヒウに向ってイヤ味な毒舌を吐いたが、そこから投げおとされて墜落死をとげ、次にエヒウの馬車にひかれ、エヒウが食事をする間放置された彼女の体は、最後に犬に食われた。

「激烈なクーデター」 列王紀下 10章1〜17
将軍エヒウは(今はもうイスラエル王)預言者エリヤの感化を強く受けて、その預言のとおりに、アハブ王家一族を滅ぼし、イスラエルからバアル礼拝の悪風を根絶しようとした。 しかしエヒウは、宗教家であるよりも革命家で、預言者ではなく軍人である。そのやり方は敏速で徹底的だ。 サマリヤ市民を脅迫してアハブの七十人の子を殺させ、かごにつめて届けて来たその首を、城門の前にふたつの山に積み上げる。 更に自分もエズレル・サマリヤなどを捜索し、関係者は一人も逃さない決意だ。

「だまし打ち」 列王紀下 10章18〜31
一方エルサレムでは、エヒウはバアル礼拝の祭司、預言者、信者などを、礼拝のためだといつわって神殿に集めてみな殺しにする。言わばだまし打ちである。 これは、いかにバアル礼拝がアハブ王家の保護のもとに根強く維持されていたかを物語っていて、エヒウの取った思い切った手段も止むを得なかったと思わせる。 それとともに、サマリヤ、エズレルの虐殺がすでに行なわれているにもかかわらず、彼らが何も知らずに集まって来たのを見れば、エヒウのやり方がいかに機敏であったかを察する足りるのである。 エヒウのクーデターは残酷だ。 しかしかってアハブ王とイゼベルは、国民にバアル礼拝を強制し、これに従わぬ者を、国王の力を動員し、組織的に年数をかけて、徹底的に殺した。 今度殺されたバアル礼拝の関係者は、その悪政に便乗して時を得た人たちであって見れば、彼らがエヒウによってこういう裁きに会ったのも、止むを得なかったと思われる。

「イゼベルの娘」 列王紀下 11章1〜12
ユダの王アハジヤは、このイスラエルのクーデターさわぎのまっ最中に、イスラエルの首都サマリヤを訪問中であったが、クーデターのまきぞえを食って死んだ。 アハジヤ王の母アタリヤは、実はアハブ王とイゼベルの間に生まれた王女で、アハジヤ王の父、つまり先王ヨラム(エヒウに殺されたイスラエル王ヨラムとは別人)がアハブ王との友好の気分で結婚した婦人だった。 彼女はいま、イスラエルで、エヒウによってアハブ王家、つまり彼女の実家の一族がみな殺しにされたのを知った。同時に自分のむすこ、アハジヤ王もそこで死んでしまったのを知ったのである。 あせった彼女は、せめてユダ王国を完全に掌握して、ここに、アハブ王家の理想、すなわちバアル礼拝を維持し鼓吹しようと計画した。そのために、アハジヤ王の死をチャンスとし、これまた一種のクーデターを起こして、王一族をみな殺しにし、自分がユダの王権を掌握した。 さすがイゼベルの娘だ。

「エホヤダの宗教改革」 列王紀下 11章13〜21
アタリヤ女王の数年にわたる悪政の間、祭司エホヤダは、アハジヤ王の遺児を神殿にかくまって守りとおした。この遺児は、あのクーデターの時、叔母エホシバと乳母との手によって、かろうじて救い出されたのだった。 今、この王子が七才になったので、エホヤダは祭司たちや近衛兵など、アタリヤの悪政に反対の人々と打ち合わせて、今度はクーデターを起して成功し、アタリヤは殺された。 エホヤダの場合は、イスラエルのエヒウとは違って、もともと敬虔な人物だったから、ただちにユダに宗教改革が行なわれ、ようやくユダ王国は、アハブ王家と、バアル礼拝の悪影響をまぬがれることができたのだった。

「神殿の会計」 列王紀下 12章1〜18
ここは旧約聖書にはめずらしい神殿の会計に関する記事である。 みんながきちんと献金をしているのに、なかなか神殿の修復工事が実行されない。 よくしらべてみると、これらの献金が、祭司たちの生活費として使われてしまうらしいことがわかった。 そこで、献金を祭司たちに直接わたすことを中止して、別に会計係を選び会計事務を確立した。そして祭司には生活費として至当な部分をわたし、大部分を神殿修理費の支払いに当てることにしたので、神殿修理の工事は進展した。 そればかりではない。注意深い会計の結果生じた余剰金を貯金しておいたのが、後に賠償金の一部として役立って、その時仕掛けられた戦争を回避することができたと言う。