館林キリスト教会

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伊藤牧師 コラム集(4)

 神と交わる幸い 2007年1月14、21日

 旧約聖書の詩篇第84篇4、5節には「あなたの家に住み、常にあなたをほめたたえる人はさいわいです。その力があなたにあり、その心がシオンの大路にある人はさいわいです」と書いてあります。
 ここに「さいわいです」と2回も書いてあります。幸福でありたいのは万人共通の願いです。ある人は、幸せとは、自分の思い通りになることだと考えています。しかし、人生はそんな簡単にいかないと思います。そのように実際幸福感を持っている人は案外少ないのではないでしょうか。
 聖書が言う「さいわい」は、状況や境遇に左右されない真の幸福のことを言っているのです。それは、神様と共に歩み、神様に感謝し、心から神様に信頼して生きることなのです。
 前の5千円札に肖像が印刷されていた新渡戸稲造博士は熱心なクリスチャンでした。ですから、神様に頼っていつでも喜び、祈り、感謝する生活を送っていました。その新渡戸稲造博士は、こう言っています。「年をとるとは一体どういうことか。昨年は酒のために失敗したが、今年はそれがやんだ。昨年は人の悪口を言っていたが、今年は言わなくなった。昨年は人を羨むくせがあったが、今年はやんだ。というように、自分の向上発展が実現されれば、それこそ本当に年をとったと言うべきだ。いたずらに暦をくりかえしたとて、それは決して年をとったとは言えまい。年をとれば取るほど精神的に若返る人、老衰しないで成熟する人、その人は常に神と交わる人だ」と。
 「1年の計は元旦にあり」と昔からいいます。今年が、あなたにとってかけがえのない素晴らしい1年になるために、聖書の言葉に耳を傾け、天地の造り主なる神様にお祈りしましょう。毎朝、聖書を10分読んでみてください。1年間続けてみてください。あなたは神様の祝福を受け、大きく変えられていくのに気付くでしょう。  

 小さな力を結集しよう 2007年2月25日

 以前ベストセラーになった「頭の体操」を書いた心理学者の多胡輝さんは、逆説的に「力がないという事は、教えを乞う力、失敗を許される力、助けてもらう力がある事」だと言っている。ある人は「協力の『協』という字は、十字架の元で力を合わせると書く。すると、弱い人間には協力し合う力があると気づくのだ」と言う。
 カーネギー・ホールを作った鉄鋼王のカーネギーは、「カーネギーは、能力はない。才能はない」と悪口を言われた事がある。その時「私はその通り、能力のない者ですが、私の周りには能力のある人が一杯いて、その方々の協力によって、今日あるのです」と答えたという。彼のお墓には、「自分には力がないけれど、人々のお助けによって成功した男、ここに眠る」と書いてあるそうだ。今日は教会総会がある。弱く小さくとも、主にあって私たち一人一人が、協力しあっていくならば大きな力となっていく事を思わせられている。  

 ニックネーム 2007年3月18、25日

 イエス様を信じる人々が「クリスチャン」とはじめて呼ばれるようになったのは今から約1950年位前です。シリアのアンテオケ教会のキリスト信者たちが、口を開けば「イエス・キリスト」に感謝してその名を言っていたので、当時の人々があざけるように「クリスチャン」と呼んだのが始まりです。キリストに属する者という意味です。初代教会のクリスチャン達は、そのニックネ−ムを喜んでもらい受け、自称するようになりました。旧約聖書に「よき名は大いなる富にまさる」(文語訳)とありますが、今では「クリスチャン」というニックネ−ムは素晴らしい響きを持つ言葉だと思います。新約聖書に「バルナバ」というニックネ−ムの人が出てきます。この人の本名は「ヨセフ」という名前でしたが、非常にやさしい親切な人でしたので、みんなが感心して「慰めの子」という意味の「バルナバ」とニックネ−ムをつけたのです。
 16代アメリカ合衆国大統領エブラハム・リンカ−ンは、若い時「正直者エイブ」というニックネ−ムで呼ばれたそうです。ケンタッキ−の淋しい荒れた野原の丸太小屋で生まれ、ろくに学校へもゆけず、貧しい百姓の息子として育ったのですが、小さい時から、聖書を通してまことの神様のことを教えられ、神と人とに正直でなければならない事を知っていました。現代では金が儲かるとか得をするとなれば、「うそ」や「でたらめ」は平気です。また「正直者は馬鹿を見る」などと言って正直に生きることを軽くみることもあります。リンカ−ンがあるとき、商売が終わって、売上を勘定してみると、15セント多かったことがありました。彼は誰が間違えたのかと思い巡らし、やっとひとりの婦人のことを思い出し、暗い夜道を離れた隣り村まで届けた話は有名です。
 私達も、日常の行為・行動の誠実、親切、正直等がニックネ−ムとなるような生き方をしていきたいものです。  
 

 「イースターって何ですか」 2007年4月8日

  イースターとは、何でしょうか?これは十字架の上で死んだイエス・キリストが3日目によみがえられた(生き返られた)ことをたたえる記念日です。
  エルサレム郊外、カルバリーの丘の上で、イエス・キリストが十字架にかかって死なれたとき、弟子たちをはじめ、多くの人々はもうだめだとがっかりしました。きよさと愛に満ちた、力ある数々のみわざを行なったイエス様、だれもがこの方こそ、私たちのメシヤ、救い主だと期待していたのです。しかしイエス・キリストが死んでしまったとき、「彼も十字架の上で死んでしまったか」、と失望を隠しきれませんでした。
  ところが、3日目の日曜日の朝、イエス・キリストは墓の中からよみがえられました。この復活の歴史的事実を記念して賛えるのがイースターなのです。