希望のダイヤル
更新日: 2010/06/25
 
2008年09月28日
 
2008年09月21日
 
2008年09月14日
医科大学  小林誠一前牧師
2008年09月07日


 




医科大学
 ある女子高校生が、お医者さんになるつもりで、その方面の大学にはいるために一生懸命勉強していました。
ところが大学受験にすべってしまったのです。シッョクでした。この娘さんはクリスチャンだったので、熱心にお祈りしていたのに、お祈りがきかれなかったので、これもシッョクでした。でも、受験にすべった後の気持ちを整理して立ちなおるためにも、お祈りしたり、考えたり、牧師さんとも話し合いました。そして「なぜお医者さんになりたいのか」と、自分に向かって質問をくりかえしたのです。
この娘さんは、気立てのやさしい子でした。小さい時から、よく、もっと小さい子の面倒を見たり、犬や猫でも可愛がり、世話をしました。
おじいさんが長い病気のあげくに死んでしまった時、また友達が病気になって入院して、淋しそうにしているのをお見舞いに行った時など、病気の人がかわい相で仕方がありませんでした。それで、大きくなったらお医者さんになって大勢の病気の人を助けてあげよう、と、小さい子供の頃から考えていたのでした。
それが高校生ごろになると、医者になれば社会的地位も高くなり、収入も多くなると考えるようになりました。大学入試がいよいよ近づいてくると、意地と面子だけで、機械のように、馬車馬のように、夢中で勉強していました。まるで大学が人生の全てであるかのように。そして、いつか本当の自分を見失っていたのでした。
今、それに気がつきました。そしてもう虚栄心をおさえて、看護婦さんになりました。立場は違っても、それで、少女時代から抱いていた、自分の本当の使命感をはたせると思ったのです。本当にそうでした。この人は素晴らしい看護婦さんになりました。大勢の患者さんに慕われました。満足幸福でした。
「わたしたちは神の作品であって、神はわたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えてくださったのである」  エペソ人への手紙2章10節  (小林誠一前牧師)
 
 
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