希望のダイヤル
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手術台の祈り
 小林誠一前牧師
2008年6月29日
 伊藤英雄牧師
2008年6月22日
内村ルツ子の死2
 小林誠一前牧師
2008年6月15日
父の日に思う
 伊藤英雄牧師
2008年6月8日
内村ルツ子の死1
 小林誠一前牧師
2008年6月1日

手術台の祈り
 一人のこどもが病気になり、入院しました。検査の結果、手術をすることになりました。
 手術の日が来ました。手術室に入って、用意ができると先生は言いました。
 「さあ、このパイプを口にくわえなさい。そうすると君は眠くなって寝てしまうのだよ。君が眠っている間にちゃんと手術をすませて、病気を治してあげますからね」
こどもは言いました。
 「そう。では僕はこれから眠るのですね。それならいつものように眠る前にお祈りをします。ぼくはいつも寝る前に、神様にお祈りするんです。先生ちょっと待ってて下さいね」お医者さんは待っています。
こどもはお祈りをはじめました。
 「神様、僕はこれから眠ります。いつもはおうちのベッドで寝ますが今日は病院のベッドてす。でも僕が眠っている間、いつものように僕を守ってください。そして目がさめたら元気に起こして下さい。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン」と祈りました。
 お医者さんも看護婦さんも、こどものお祈りを聞いていましたが、最後には、つりこまれて、みんなで一緒にアーメンと言いました。
 子供は静かに眠りました。手術はうまくゆきました。お医者さんも看護婦さんも「何となく神様が守ってくださる」と感じました。手術は早く終わりました。
 こどもが眠りからさめると、看護婦さんが言いました。
「手術はとてもよくできました。病気はすぐよくなりますよ。君が眠る前にお祈りしたから、神様が守って下さったのね」と言いますと、こどもはにっこり笑って「そうですね。ありがとう」
と言いました。
 みんな「お祈りをするって、なんて良いことなんだろう」と思ったのでした。 旧約聖書詩篇4篇のみことば
「私は安らかに伏し、また眠ります。主よ、わたしを安らかにおらせて下さるのは、ただあなただけです」 (小林誠一前牧師) 尋ね人広告
 最近の新聞は広告欄の多いのが目立ちます。途方もないお金がかかるのに、全面広告も少なくありません。何とかして、できるだけ多くの人に見てもらいたいのです。
反対に「すべて解決した。家へ帰れ、連絡待つ。 父」というような記事が掲載されている事があります。尋ね人広告です。それはたった一人に見てほしい、本人しか理解できない広告でもありますが、そこには、ひたすら待つ続けている父親の叫び声が聞こえてくるようなきがするのです。他人の私でさえ、早く気が付いてほしいと思いながら読んだりすることがあります。
さてこの世の中に、愛の神様から離れている人類にあてて、そして特別に、あなたに宛てた神様からのメッセージがあります。それはいろいろな問題に悩み、苦しみ、迷子のように不安な気持ちで生きている人々への手紙です。
神様は、人々にさまざまな問題がおこるのは心にある罪が原因です、と言っています。自分がよく思われたい心、仲間に対する嫉妬、悪口を言う、人を中傷するなど、神を締め出した心から生じてきます。罪とは、神と私達を断絶しているものです。ですから、罪によって人は悲惨な状態に生きなければならないのです。
しかし、神様は愛なるお方です。ひとり子イエス・キリストをお送りくださって、人類のすべての罪をキリストの十字架の身代わりの死によって解決して下さいました。これは人類への「福音」です。良い知らせなのです。聖書は全巻を通して言っているのです。
「世界中の人たちよ。すべて解決した。わたしの家である教会に帰れ。連絡待つ。父なる神」
新約聖書ルカによる福音書15章には、有名な息子が帰ってきたお話があります。また新約聖書マタイによる福音書11章28節には「すべて重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう」とあなたに呼びかけ、招いている聖書のみ言葉があります。是非あなたも聖書をお読み下さい。また神の家である教会にお出かけ下さい。お待ちしています。  (伊藤英雄牧師) 内村ルツ子の死2
  内村ルツ子さんは、有名な内村鑑三先生の娘さんです。顔かたちや性格もよく先生に似ていたので、先生は特別かわいがっていたようでしたが、気の毒なことに十八才の若さで世を去りました。ルツ子さんはお父さんの指導によって、子供の時から深く神様を信じていました。いつも神様に自分の罪を悔い改め、またキリストの十字架によって、一切の罪が許されたことを確信していたので、病気が重くなっても動揺しませんでした。
 亡くなる三時間前、ルツ子さんはお父さんから洗礼を受け、細い手を伸ばして聖餐式を受けましたが、亡くなるまで喜びの笑みをたたえ「感謝、感謝」と言いつづけていました。
 お葬式の時、内村先生は言いました。「今日は実はルツ子の結婚式であります。私は愛する娘を天国に嫁入りさせたのです。これこそ聖書に書いてある、婚宴です」と述べました。
 雑司ヶ谷の墓地では、棺に土をかける時に、内村先生は一握りの土をつかんで手を高く上げ、「ルツ子さん万才」と叫びました。丁度数ケ月前から、内村先生の聖書講義の集会に出席するようになっていた矢内原忠雄は、ここに居あわせましたが、雷に打たれたように感じて「これはただごとではない。キリスト教の信ずるということは命がけだぞ」と思いました。
 この人はまもなく熱心なクリスチャンとなりましたが、やがて有名な経済博士となって、東大の学長を何年もやった人ですから、ご存知かもしれません。 内村先生のそのころの詩
「私たちは四人家族だった
しかし今も四人だ
戸籍から一人の名は消えたが
天の記録に一人の名は増えた
四角の食卓の一方は空しく
三度の食事に空席ができたが
しかしなお私たちは四人だ
残された三人はもっと親しくなった
天にいった娘が
愛のきずなとなっている
そしてやがて天国で
再び一緒に相会うのだ」        (小林誠一前牧師) 父の日に思う
  6月15日の日曜日は父の日です。ある教育委員会が、小・中学生1600人を対象に「子供の見た父親の実像と理想像」というテ−マでアンケ−トを取ったそうです。その結果、父親の印象としては「休日ゴロ寝でテレビ」が圧倒的に多く、「ゴルフや釣り」がそれに次ぐということでした。たしかに日々の厳しい労働に従事し、休みぐらいは家でくつろいでいたい、というお父さんの気持ちもよく分かります。しかし、父親の誰ひとりとして、これでいいとは思っていないのではないでしょうか。
 あるお父さんが、学校が休みの時に、お子さんを自分の会社に連れていったそうです。そこでその子供が見たのは、いつも畳の上でゴロゴロしているお父さんではなくて、仕事をテキパキ処理しているカッコいいお父さんだったそうです。この子は俄然お父さんに対する見方が変わってしまった言います。よく、子供は親のうしろ姿を見て育つといわれますが、まずお父さんからその生き方を見せていくことはとても大切なことと思うのです。
  聖書は神様のことを「天のお父様」と呼ぶように教えています。誰でも世界にたった一人の父親をもっています。自分の父親に向かって名前を呼ばなくてもいいのです。ただ「お父さん」と呼べばわかるのです。そのように、神様はお一人です。ですから、名前を呼ばなくても「天のお父様」と呼べばわかるのです。お父さん自身がこの「天のお父様」を信じ、この方に祈って生きるとき、その後ろ姿がこどもに与えるものは大きいでしょう。
  山室軍平先生という立派なクリスチャンの方がいました。そのお子さんが書いた本の中に、「食事の時間に、書斎に父を呼びに行くと、よく自分でつくった『祈りの名簿』を片手に、一人一人名前をあげ、声を出して祈っており、その後ろ姿に深く教えられた」と書いています。あなたも聖書を学び、真の神様を信じてまわりの人からも尊敬される人になってください。  (伊藤英雄牧師) 内村ルツ子の死1 
 内村鑑三先生に、ルツ子さんというお嬢さんがいました。ルツ子というのは変な名前だ、ツル子の間違いじゃないか、と思う人もいるかも知れません。実は旧約聖書の中に「ルツ」という女性が出ていまして、この婦人が、淋しく孤独になった姑に対して、とても親切で忠実でしたから、彼女にあやからせようと、クリスチャンの両親は娘にルツという名前をつけることがあります。
 内村ルツ子は十八才で亡くなりました。その病気が重くなって心配な時に、内村先生は、昔女中さんだった高橋さんという人のお葬式に、岩手県の花巻にゆきました。
 この人は内村先生の人柄を慕って、女中さんになろうと家出をして来た人でした。先生はすぐ帰宅させましたが、いろいろあった末に、やっと親の許しを得て内村家の女中さんをしていたのです。
 彼女のお葬式で、内村先生は十五分間の告別説教をする予定でした。ところが、二、三分話をすると、しゃくり上げてしまって、話ができなくなり、とうとう十五分間泣いていて説教ができずじまいだった相です。
 そのお葬式が終わらないうちに、「ルツ子キトクスグカエレ」という電報を受け取ったのです。それから一ケ月半でルツ子さんは天国にいきました。この娘は性質も顔も、お父さんそっくりだったので、先生も特別かわいがっていた相です。
 彼女は小学生のころから、外でも「わたしはクリスチャンです」とはっきり言っていました。一人の親友がいましたが、その人は父に死に別れ、母に棄てられた一人ぼっちの娘で、ルツ子さんは自分の死を覚悟したころ、自分の多くない着物の中から三枚選び出して「これをあの人にあげて頂戴」と言った相です。
 また意地の悪い友達もいましたが「私は全部の人を許しました。神様が私の罪を許して下さったように。だから私の心にはくもりはありません」と言っていました。  (小林誠一前牧師)
 
 
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